-続- 洋上にて
2011年 02月 17日
とても様々なこと、感動や興奮だけじゃない、知恵をもらったり、笑いや慈しみ。そんな言葉では言い表せない何か。
鯨やイルカと接しているときも同じように。このような生物と同じ場所に居ることと、互いに生きている事にまずびっくりするし、彼らの感情を感じ取って、様々なことを感じたり。思わず普段出したことない音量で叫ぶ事だって往々にしてあるし、ムービーやスチルに収めて満足したり悔しがったりは毎回。心地よい今の彼らとの関係性をこれからも保とうと願ったり、まだ見ぬ人々に知らせたかったり、とても書き切れません。
しかしながら彼らはその一生において、僕達のいかなる介入も必要とはしていないでしょうし、なにかしらを互いに通じ合うような特定の、刺激的な、僕達にとっては忘れがたい出会いが確実にあるけれど、それが起こらなくとも、彼らは生きてゆくでしょう。たとえば彼らに対しての水面上での船舶での接近は、少なくとも彼らにとって益となることでは無いと思います。よくないということではありません、いかなる手段や言葉を使って、規範に従って行動したとしても、それはあくまでこちら人間の都合じゃないかという意味です。でも、そうしてでも体験したいことが僕にはある。
そう、だからこの出会いは僕の欲です。
今、それを言っちゃあおしまいよ、の事をしゃべっているのですが、もう少しだけ続けます。
名峰を征する為、強い意思と充分な技能を身につけ、そして潤沢な資金を得た登山グループが挑む。しかし多くの参加者皆が一様に思い描いていた純粋な結末とは全く違う結果に終わることは多いものです。
そしてこの目的をイルカやクジラにしてみたり、空中飛行やサバンナ、等々に入れ替えてみれば、自然生物、特に秘境や希少生物を対象とする体験型ツアーすべてはこの問題を避けては通れないのです。
誰もが貴重な資金と時間を割き、心の中に自分なりの考えと願いを持って集います。人が多ければ願いの種類はそれぞれ違うものです。動くお金と時間も増えます。本来この場所にそぐわないノルマのような気負いすら出てきます。勿論よい結果には、更に、更に、と加速度をつけて期待値が上がってゆくものです。それは人が当たり前に持っているもので消すことなど出来ませんが、やはり大きな問題は人が多すぎることです。本人も含めてそのグループの気負いや野心、欲をコントロールし、調和を保つ人物もどうしても必要ですが、それにしてもそれが機能するのはそういった状況ではせいぜい数人、片手で余る数でしょうから。
この数日のうちにどうしても、出来るって言っちゃった、これだけお金を頂いているから、こんなに無理してがんばってきたんだから、昨年はここまで撮れたから今年はもっと、今度こそきっと…いろいろ事情はありますし、どれも真剣なのですが、そういったことを僕達皆で双方がいつも意識しながら削いで、もっと単純に、もっとコンパクトにしてゆくことができたら、もし少しずつでもできたらどうでしょうか。
遥か沖合いを眺めながら、「あぁ、今日もクジラ、いるんだねぇ…。」くらいから。
そしてそうやって与えられた機会をもう一度感じ直すことができるだろうか。そこから何か変ってゆくことがあるだろうか。それが今の僕の身の丈で、そして願いです。
ザトウクジラ、シーズンど真ん中です。今年も久米の海を訪れた皆さんに、ダイバー達に、よき出会いがありますように。
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ボートに上がって来て「クジラが鳴いていたねぇ」って。
あの時はあんな巨きな生き物に近寄ろうなんて発想は微塵も無かった。
偉大なる存在は見えずとも感ずることで海を近しく思えたものだった。
それだけで十分だった。
もちろん、それは片想いでしかない訳なのだけれど。
それに近寄ることはモノリスにも似ていたんだと思う。
もうモノリスに触ってしまったのだから元には戻れないけれど、
もう少し海が静かだった頃に思いを馳せることは出来るのではないだろうか。
たくさんたくさん海で彼等との遭遇を楽しんで後、夜の酒場ででもいいから。
熱狂ばかりが人生のダイナミズムではないのだから。
じゅくねんだいばーさん:ありがとうございます^^
綺麗な海に行きたい、潜ってみたい、見てみたい
行って、潜って、見た・・・
もっと近くで、もっと沢山、もっと長く・・・欲とはキリがないのも重々承知している、人とはその欲を想像し、思い描き、願い、また行くのだろう、それは人という生物(オイラともいう)が本当に無意識なのか意識しているのか?どちらだろう?ただ、そこには越えてはいけない領域がきっとある、そしてその感覚はその場にいないと分からないのかもしれない・・・
その感覚だけは無くさないように願おう!そして、心静かに振り返り、ベストと思える事を!ベターでは・・・ない。。。