師走の夏日 -水中HDRの世界-
2012年 12月 15日
ダイビングポイントも夏場の華やかなポイント中心。出張帰りの僕にとっては数日ぶりの海。もうどこを見渡しても新鮮でした。
大好きなカスミチョウチョウウオの群れ。どこのポイントにも群れる魚ですが、やはり北側の方が群れが濃密で見ごたえがあります。
明日までなんとか北側にいけるかな…?
-水中HDRの世界-
透明度の高い沖繩の海でも、奥行はせいぜい数十mまでしか出せません。そして太陽光も減衰し、色の再現性も急速に落ちてゆきます。これは水深10m付近からの俯瞰撮影ですが、通常の撮影ではドロップオフの底付近、40mあたりの暗い地形のディテールまでは出せないのです。出そうとすれば白いカスミチョウも、太陽光が比較的届いている明るい棚上も真っ白に飛んでしまいます。勿論距離もありますのでストロボは役にたちません。そんな状況でなぜ、人はこの風景を記憶に残したいと思うのでしょうか。人間は高性能なレンズである瞳で、視野の複数の箇所から像を瞬時に取り込み、神経系統、更に脳という超高速イメージ処理エンジンでの様々なエフェクトで、本人だけに最適化された記憶(画像)を作り出します。白くぶっとんだり、黒く潰れた場所などほとんど無いのです(その逆もできますが)。仮に一瞬眼が眩んだとしても、前後の映像から予測して合成(想像)したり、部分的に付け足したり(妄想)もできます。そう、究極の装置です。
それゆえ、人の構造をカメラという機械の最終目標とするなら、記録した画像をどの段階で処理する(加工する)のが正当か、という議論はまったくナンセンスで、むしろカメラという道具は様々な限界があるからこそ存在が許されているのかもしれません。現にコンデジという市場はもはや消えかかっていますが、しかしそれが写真というものの価値を消すわけではありません。
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