恐怖体験(妄想アリ)
2005年 12月 02日
さて、思い起こせば数あるこの番組の恐怖系のなかでも僕の中でベストなのが、「牛鬼」と「導き地蔵」なのだが、この2つの作品の恐ろしさはまさに、演出のすばらしさに負うところが大きい。この2作品だけは、ぜひリメイク版ではなく、当初のままで流してほしいのだが、導き地蔵に至っては、中学生のころ、家で一人で再放送を見て、あまりの恐怖に家を飛び出したほどにヤバかったので、今の人たちにはどうか? とも思う。大津波を地蔵様が知らせてくれ、主人公は見事助かる。という、どちらかと言えば完全にハッピーな良い話なのだか、子供に自然災害の恐怖を教えるには、あれ以上の教材はあるまい。なにせ中学生の男が逃げるくらいだ。
そして牛鬼(初期)・・・四足で立ち、山深くに棲む巨大な人面獣、いや、鬼面獣の話だ。この演出は非常に文学的であった。なんと最初から最後まで、この牛鬼は画面に登場して来ないのである。鬼をも断つと自慢していた大鋸の、鬼歯を折ってしまったことをきっかけに、山深い山中で、一人で命を落とす木こりの主人公・・・一切の会話は、その小さな小屋のたった1枚の玄関の引き戸を通して毎夜、交わされる。雪ふぶく深夜の扉のすぐ向こうに息を潜めて鬼歯の有無をようやく人の声に似せ、尋ねに来る牛鬼。扉の向こうにたたずむものが何かも知らず、手を伸ばせば届くような距離に板1枚を挟んで牛鬼と対峙しているとはつゆ知らず、酒のせいか、強気に自分の木こりの腕前を語る主人公・・・・「今日は、鬼歯はあるかえ・・・」その問いは毎晩続く。そしてとある昼、木を切り倒す最中に、鬼歯は折れる・・・そして訪れる初めての鬼歯のない夜・・・
うぉぉぉぉー、この単調にして芸術的な反復が繰り返され、そして迎える最後・・・・ついに扉の向こうでようやく人を喰らえる歓喜の息に震える声に、全てを一瞬で理解した主人公・・・この硬直の数旬後、画面はなにも語ることをせず、開け放たれた小屋の扉と共に、ただ闇のなかにうっすら見える沼地からひとつ、ひたつ湧く小さな泡を見せ、終わるのだ。
なんとすばらしくも恐ろしい話か。見えない、得体の知れないものが、自分の頭の中でこれほどまでに膨れ上がることを、僕はこれを観てはじめて理解したと思う。これは小学校低学年なので、もう25年以上経つのに、これでけのディテイルを、多々脚色してあるにしろ鮮烈に思い起こさせるほど、この話のインパクトはすごかった。今になれば、PTSDで訴えられるかもしれないな。しかしコンプレックスと心の傷にまみれながら、幼少を育つことが出来た僕は、いまとなって思い起こせば本当にラッキーであった。
まんが日本昔ばなしよ、永遠なれ!