今年も彼らが帰ってくる
私たちは彼ら鯨類を、効率よく食料にすることのみ考え、奔走した歴史を持っています。そしてそれは今、彼らの仲間の多くの種を、危機的状況に追い込みました。その反省から、効率的な捕獲と処理から絶対的な保護へと大きく針は振れました。しかしそれと同時に、今も自分とその家族が生きるためというささやかな理由で、小さな武具のみで、自分の命と誇りを賭けてかれらと向かい合い、彼らを食料とし、仕留めた獲物に敬意をもって接し、何一つ無駄にしないで骨の先まで利用する文化が私たちにもあることは忘れてはいけないと私は思います。これは私達人間が誇るべき文化なのですから。そしてそれはこの日本にもつい最近まで脈々と受け継がれてきた事のはずです。私達人間を卑下する視点から生まれる保護の考え方は、多くの場合、すこしずつずれ、歪んでしまいます。それは人間のエゴのひとつの側面です。同じ生物という視点でいえばその大きさに関わらず同等に、全て尊重されるべき生です。クジラ達は神ではありません。私達の誇り高き狩猟文化も、非難に値するものではないと考えます。

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実際、彼らは私達と同じように恋をし、異性を奪い合って争い、子を懸命に守る、そんな私たちと変わらぬ生活を営んでいます。それと同時に彼らは巨大で偉大な生き物です。彼らは海の世界での食物連鎖の頂点にいます。自分の生存を脅かす存在は、ほぼ皆無です。寿命も非常に長いことが知られています。彼らはおそらく私達人間とは違った尺度の思想や価値観を持っているでしょう。この生物が今、同じ地球に共に生きている事自体がすばらしいことなのです。クジラ達は私たちとは違う時間軸を持って生き、その巨大な身体をもってやはり私たちとは違った空間世界を認識しているはずなのですから。
今現在、一般の人間が比較的容易に観察することの出来るクジラ達は、ヒゲクジラ類ではミンククジラ、コククジラ、ザトウクジラ、ニタリクジラ、ハクジラ類ではマッコウクジラ、オキゴンドウ等がよく観察されています。日本でも、実に多くの地域で鯨類が観察可能です。そして今現在、クジラ達を一般の人間が水中に入って観察可能な場所は、オーストラリア、タヒチ、バハ・カリフォルニア、そして久米島、小笠原諸島など、数えるほどとなってしまいました。私の住む久米島は、世界でも稀な、貴重な鯨類の観察可能地域として、マスコミ、ネイチャーフォトグラファーをはじめとして、多くの人々より注目され始めています。

この興味深い生物を、水族館やテーマパークなどの人工的な飼育環境ではなく、野生のまま観察する事は、非常に刺激的なことです。私たちはほんの暫く前まで、ほとんどの人間がクジラを食料か、材料としか見なかった時代から一転し、代わりにホエールウォッチングという観光資源を利用する形でクジラ達と関わりあうようになりました。それが次第に商業ベースに乗るにつれて、ルールが出来始めます。それが最も速かった地域のひとつが主に欧米諸国、様々な自然に対する保護の機運に乗って作成されたルールの一つである、海洋哺乳類に対する保護規制、条例等、付随する鯨類に対しての様々な規範ですが、人間の観察行動をある意味厳しく規制する方向に動いた内容となります。これは世界中で増え続ける人間の生活圏拡大と相まって、必要不可欠な処置であり、今後さらに検討され続けなければならない課題です。と同時にそれが世界中、日本にも導入されていく中で、いつのまにか鯨類の為と位置づけられたその規範はすこし形を変えていく結果ともなり得てしまいました。日本における様々な地域の海洋哺乳類の観察時における自主ルール制定も、これに沿った内容で地元の観光業者等によって成立していきますが、彼ら鯨類の減少の危機感と保護の欲求、この観光の将来性への魅力、クジラの保護、どちらかかといえば利益を損ねる存在の鯨類(特にイルカ)を嫌う傾向のある漁業者達との軋轢など、分裂した問題を模索しながらも、観光資源として魅力的なホエールウォッチングは、その地域の業者が増えれば増えるほど、先にあるジレンマと金銭的な思惑が絡み合い、私達が自らに課したルールは、いつの間にかその地域の観光業者の商業活動を、より円滑に進めるための規制となりかねない危険性をはらんできました。
具体的に例をあげましょう。ひとつのクジラに対しての観察行為は、最大で2時間までとする。という自主規制のある海域があります。これは一見、クジラにストレスを与えない策として有効に見えますよね。さて、しかしクジラはそれを果たして嫌がっているか、歓迎しているのか、どちらなのでしょう? 実際、特定のクジラではなく、非常にリラックスした状態のクジラの個体群は、ボートに数メートルの位置まで寄り、私たちを観察しながら時には半日以上、私たちに興味を示し続けます。そして、そもそも観察することが許されるのは、そのようなリラックスしたクジラの個体群である事が殆どなのです。海は彼らの世界ですし、彼らが水面上に顔を出すのは彼らの生活のほんのわずかな時間に過ぎません。私たちにストレスを感じているときに、観察など所詮、不可能です。これを実際に身体で知ったとき、このルールの隠れた意味がおぼろげに見えてきます。今現在、ホエールウオッチングの時間というのは2~3時間のコースというのが一般的ではなかったですか? 料金は4~6千円程度です。クジラのある個体群に、違う船が入れ替わり近づき観察する、回転を早くするためには、制限時間は決めておいたほうが、より効率的です。しかし、本来クジラにストレスを与えない為という大前提(そもそも有効かどうかは確定できませんが)からすれば、入れ替わり立ち代りに船がその個体を観察する環境は、1つの船がずっと観察するのと一緒ですから、これは矛盾するわけです。確かに数隻の船で取り囲まれるよりは、ましでしょう。しかしこの様に、ルールというのは残念ながら多くの場合、マナーから移行するときに、この様に意図的に本来の趣旨からずれながら作られていく場合が多いのです。逆にそれに従わない業者は排除されていくわけです。更に観光事業を営む業者がほとんど居ない地域でルールは出来ません。必要ないからです。まさしく現在の久米島がそのような状態です。
そのような決まりはクジラ達が作成して、私たちに求めたのではありません。私たちが作ったのです。そして保護と、金銭的な理由が絡んでいます。現在貨幣を、全ての事柄において私達は無視出来ません。それは、ある別の対象を保護しようとするときでも、それから逃れることは残念ながらできません。イルカと呼ばれる海洋哺乳類がいます。イルカは、クジラと同じく、鯨類であることは、一般の人々には驚いたことにあまり知られていませんが、それを区別するものは、その大きさであることは、更に知られていません。主張によって若干の前後がありますが、成体で4メートルを超す鯨類がクジラで、それ以下のものがイルカと名づけられています。ですからこの4m付近のボーダーラインに居る鯨類の名前は、ある種はクジラと付き、またある種はイルカと付くという、複雑な入り組み方をしています。この人間が決めた基準で、このクジラとイルカという同じ鯨類に対する私達一般の人々の、彼らに対する対応の仕方は驚くほどかわってしまいます。非常に乱暴な言い方でいえば、「クジラは神様・イルカは友達」です。そしてクジラは「偉大にして近寄って見ることが叶わぬ存在であるべきで、対してイルカは人間に友好的で、医学的にも利用が出来る可能性があり、人を癒し、近づいても、泳いでも、そしてあるケースでは触っても良い」のです。これは全て、人間の決めたことでしかなく、かなり偏った主張ですよね。しかしこの論理が強いのは、基本的に、彼らの保護を最優先しているように、すくなくとも対外的(勿論私達人間に向けて)には見える事なのです。私はこれを全て否定しているのではありません。全く未知の対象は、愛せません。鯨類を長期にわたって観察し続け、その間口を一般の人々にまで広げ、個体識別などの地道な作業をしながらも、それをあらゆる媒体で発信し続ける今の現状は、先人のたゆまぬ努力のおかげです。私が彼らを好きになれたのも、このような強い先達がいたからです。しかし、何かがずれているのではないか? と、ずっとしこりとなって残っていたことを、今書いているのです。そしてこれは、もしかしたら皆が思っているのではないか? と、思い始めたのです。

さて、この議論にクジラとイルカは参加しているでしょうか? それは皆さんも判っていただいたと思います。そしてここ久米島は、彼らの中でも最も派手なパフォーマーにして、体長15mに達する巨大なザトウクジラ達と、対等に対峙することのできる、世界でも数少ない環境を持つ島です。今、この海域に、ルールが出来ようとしています。それは察しの通り、商業と、保護目的の為です。その為に、この世界でも類を見ない貴重な体験を誰もがすることの出来る可能性を、自ら放棄しかねない状況でもあります。商業的効率のみを追求する観光資源は、決して長続きしません。逆に保護を最優先するならば、本質的に彼らにとってストレスとなりえるホエールウォッチングという行為自体をまず、放棄しなければなりませんが、これは次世代にわたる彼ら鯨類の保護という教育的な観点から見ても、良い方法ではないでしょう。まず、私達地域住民が、この類まれな環境に誇りを持ってこそ、これからの観光資源の未来は見えてくると信じます。それにはまず私達が今現在の久米島の状況を客観的な視点から分析することが不可欠です。海洋哺乳類が観察可能な世界中の地域から見て、まず特徴的なことは、この島が非常に貴重な観察機会に恵まれ、その機会が数々の商業的な利益誘導から今まで守られてきた稀な地域だという事です。そしてこれは、今後数世代にわたって続く、他の、近隣の島では成しえない、貴重な観光資源となる可能性と思想をも秘めているのです。鯨類の観察活動で商業活動を営むほかの島々の事事者の人々の多くは、この島の現状を、羨んですらいるやもしれません。それはこの島の、海洋哺乳類についての現状が、いかに強い資源を持っているかを逆に証明してくれてもいるのです。そのために、まず私達が彼ら鯨類について、より一層学ばなければならないでしょう。そしてそれは積極的に観光客にフィードバックされるべきです。アトラクションではない、野生の彼らにふれあう事で起こりえる、様々な出来事について、観光客の方にはより深く知ってもらわねばなりません。ホエールウォッチングというのは、観光という言葉で括ってはならない類の観察行動だと私は思っています。様々な幸運が積み重なって生まれる、奇跡の一つなのです。大げさに言っているのではありません。私は数年間クジラと触れ合う人々を見続けていく中で、それはもう確信に近い感覚で感じています。これは、なにもホエールウォッチングに限ったことではありませんよね。そしてこの相互の啓蒙は、単に利益だけではない、しっかりとしたコンセプトに裏打ちされ、中・長期的な期間で、島民皆により実行されてこそ、観光産業の発展に寄与するものだと思います。
最後に彼らクジラ達だけではなく、私達人間について語りましょう。あなたは、目の前でクジラたちを見てしまった、特に水中で対峙してしまった人間たちのその瞬間を見たことがありますか? 私は数え切れないほどその瞬間に立ち会ってきました。ボート上に、念願の対面を果たしたゲストが次々と上がってきます。普段の世界に戻ってきました。私たち人間の、陸上の世界です。その時の人間の顔を見たことがありますか? 言い表せない感情の洪水、なんという幸福感! 人は、こんなにもすばらしい顔をするのでしょうか? 本当に皆、言葉で言えない素晴らしい顔をしているんです! その時に私は感じるのです。クジラたち、あの生物と同じように、私たちも偉大な地球の生物のひとつであることを。この顔を、この世代で終わらすことがあってはならないと強く思うのです。人間は、ここ地上に不必要な存在などでは決してないと、彼らを一瞬見ただけで、はっきりとわかるんです。

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ルールの時代はしばらく前に終わりました。
互いを認め合い、マナーをもって対する時代に変わったのです。
私達の未来は、その先にこそあると、私は信じています。
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# by color-code | 2005-01-01 13:36 | 豪海倶楽部記事 | Comments(0)
2004年 年末の都心にて
今回の帰郷は、サイパンツアーとパーティーも絡んだ2週間にわたるロングステイでしたが、午前中以外はあたふたと、主に呑み用事が続く超過密スケジュールで、なかなか濃密な時間がすごせましたよぉー。クリスマスパーティーは、並み居るカメラマンさん、ガイドさんを囲んで沢山の皆さんと話が出来ました、朝までお疲れ様です。特にチームオクトパスの皆様、2次会ではボランティア、本当にお疲れ様でした。正直感動でうるうるしながら働き振りを見ていました。11月の末からのサイパンツアー参加者の皆様、水中、陸、ともに充実の4日間でしたね、重ねましてサンキュ! です。これから僕は当分の間、マンタとハンマー、クジラと遊ぶつもりでいますので、皆さんも是非この素晴らしき海、久米へいらしてくださいね。やっぱ久米いいわー。1ヵ月ぶりの書き込みですが、今回は東京滞在記です。

僕は新橋に数日滞在していた。土地柄としては最安の部類に入るそのビジネスホテルは、部屋の広さがシングルベッド1.5個分しかない事と風呂が部屋に無いこと、四方八方を周りのビル壁に囲まれ、携帯がつながらない事を除けば、フロントの対応もよく、屋上にはサウナがあり、充分に満足だった。今悪い点を羅列すると、カプセルホテルの方が全然安いしいいじゃん、と、他人事のように突っ込みたくもなるが、悪いことは水に流してしまうのが日本人の美徳、ささ、流そっ。連日の飲み会、夕暮れは深酒バトルのゴング、午前様はラウンド2への始まり、そんな事を毎日して体に良い訳ないので、朝起きると唯一時間の自由な午前中は、酒抜きもかねてランニングをする事にした。ジャージを持ってきていた珍しい自分の機転を自画自賛する。新橋中心街の滞在するホテルのまわりは、スーツ姿の人々でごった返しているので、黒ジャージ姿のスキンヘッドの僕は、見るからに爆弾を投げそうな人間に見えて気が引けたが、この際我慢することにする。周りにもガマンしてもらう。それでも最近は坊主頭の人間が増えてきたので、僕も前ほどには虐待を受けずに済んでいる、ありがたいことだ。そう感謝しながら走り始めて5分。数々の官公庁を抜け、一生泊まることのない帝国ホテルを通り過ぎると日比谷公園の森が見えてくる。紅葉もいよいよ終盤で、かなり葉が落ちてしまってはいるが、その分道は黄色や赤で綺麗に染まっている。公園に入ると湿度が10%ほど上がったような、粒子のような濃密な空気が心地よく肺に入り始める。日差しと紅葉が目に染みる。このような光景は、ここ数年見ていなかった、いや、見れなかった。

季節の変り目の分かりづらい南国に住んで9年近く。心の奥で見たいと焦がれていた風景が、都心のど真ん中で無造作にドン、と置かれている事に、一人感謝しほくそ笑みながらゆっくりと2週目へと入る。それにしても、この人口密度の低さ。生まれた田舎と大差ないではないか? 大木は綺麗に枝が払われて手入れされ、警備も行き届き、土と石の道は整備され、落ち葉が走る僕を、まるで散歩のお供をする愛犬の様に乱流とともに追いかけてくる。東京都民の人々は幸せだ。どうしてどうしてこんな森をいくつも持っているではないか。遠く子供の頃にまで行き着く心象風景の一部が、銀杏の臭いまでがここに、パッと開いてここにある。江戸城から受け継ぐ都市にしか持ち得ない素晴らしい財産。僕は都民の人々がうらやましくなった。そして、ここに通う、いや、通える人々が少ない事にもひそかに感謝したのだった。皆が僕のように思ったら、ここ人で埋まってしまって走れない。ここ日比谷公園は、実は人間ウォッチングにおいて有数のスポットでもあった。それこそが3日間ここで昼間走り続けさせたのだけれど、飽きるどころか日を追うごとに驚きの連続で、僕は長距離のレンズと三脚を、自宅に置いてきてしまった事を本当に心の底から悔やんだのだ。そのくらい、この公園の人間模様は素晴らしい。スーツの上着だけを脱ぎ、ジョギングシューズに履き替えた三國錬太郎ばりの老紳士が3人、隣を自信に満ちた笑顔でウォーキングしている。昼休みの運動なのだろう、しかし着ているスーツも、綺麗なエンジ色のベストも素晴らしく品が良く、思わず足を緩めて見とれてしまう。成功した人間だけが纏えるオーラが彼らを包み、それに気圧され道の隅に避ける。気を取り直してペースを戻すと、先ほどから30分以上、全く同じ形でベンチに座っている20代の男性サラリーマンがいた。右手にはタバコがしっかりと握られ、体は微動だにしないが右手のひじから先は、機械仕掛けのようにまっすぐ伸ばしきった後、2秒に1往復のペースで自動的に口に運ばれるという動作を先ほどから30分以上、し続けている。トレーニングなのか病気なのか、先ほどから注目しているがどうにも読めない男だ。表情も全く変わる気配は無い。あのタバコは一体いつ取り替えてるのだろう? そう思い悩むうちに、その先にはランが大量に入荷している小さな花屋がある。綺麗な姉さんの店員が、午前中の透き通った光のシャワーを浴びながら猫とくつろいでいた。昨日は大荒れの天気だったが、雨にすっかり洗い落とされ磨かれた空は、高く、久米の空のように青かった。話しかけようとして、毎周回ごとペースを落とそうともしたが、口説いてどうする、今日の夜も呑みだ・・・。気を取り直して進むとあのシャネルが公園のど真ん中に急ピッチで舞台を設置中だ。どうやら明日はここでショーがあるらしい。横幅10メートルありそうな巨大な白と赤のシャネルのスペースとロゴは、不思議とこの公園に溶け込んでいた。そういえば先ほどあちらの公園内のカフェのオープンテラスでは、ドラマであろうか、ロケ中で、どこかで見た女優さんがロケの真っ最中だった。昼時だからなのか、そのせいだけではないのだろう、ほとんどの人が気にも留めずに通り過ぎているので、数週するまでそれに気が付かなかったくらいだった。そのロケハンの直ぐ隣では、近くのビルで勤務しているのであろう、OLさんがベンチで普通に読書しながらコンビニ弁当を食べていた。その5つほど隣のベンチでは、ホームレスが甲羅干しの真っ最中。なぜか銀とゴールドのベレー帽を被ったその人の枕代わりの革のバッグにふと目を凝らしてそれがエルメスであることに気づき、ハッとする。そうだ、ロケなど見ている場合ではなかった。面白いのはそのぶっちぎりで周りのほうなのだから。さぁ、もうしばらく走ろう。

少し脇に逸れると木々が増え、黄色が濃くなる。思い思いに座って絵を描き、写真に収める人々。大木の脇のベンチでゆっくりとタバコの煙をくゆらす老婆がいた。その隣ではおそらく夫なのであろう、齢70は越しているこの夫婦、夫は隣に設置された鉄棒で、先ほどからずっと大車輪をかまし続けている。ずっと回っている・・・・100m程先のひと際太い樫の木の下では、やはり先ほどから中年の女性がたたずみ、マイナスイオンを浴びている。なんでそんなことが判るのか、というと、どう考えても身振りからしてイオンのシャワーを、その大木から浴びているようにしか見えないのである。彼女の頭上からは、今まさに湯水のようにシャワーが降り注ぎ、彼女は手で体中をマッサージしながら恍惚とした表情で眼を閉じ、口は半開きだ。これでちょっと、いや、大分引くが、ここはガマンして忍者のように木に成りすまし、彼女の背後の木に紛れて接近を試みる。彼女は今、髪を洗っているようだ。両手で髪の毛をあらい、後ろにかき上げている。これが何かの演技の練習であるのなら、私が審査員なら即合格のボタンを連打することを請合おう。彼女はしばらくそんなパーフェクトな仕草で髪を洗い、なにやらリンスであろうか、もっとも僕の眼には見えないリンスであるが、髪に擦り込みした後、付いた水滴(イオン)を払い乾燥させるが如く、突然全身を振動、いや、痙攣し始めさせた。あまりの突然の動きのギャップに数歩のけぞる。電気椅子に立たせたままスイッチを入れるとこんな感じだろうと妙な想像をしてみる。それは当分終わりそうに無かったので、この場を去ることにする。彼女は確実にあの木の下で何かを浴びているのだろう。が、それはマイナスイオンではない、多分スカラー波の類だと思った。毎日あの木には降るのだろう、なにかそれらしき電波が。そうであっても別に僕は驚かないし、彼女にとっては大事なのだ、そのスカラー波のシャワーは。回りのほかの人々も全く同感のようで、ミーハーな僕と大違いで、彼女などまるで背景のように、それはそれは見事に放っておいてくれていたのである。

都市の公園のマナーはスマートであった。公共道徳と自分に迷惑が及ばない範囲であれば、どのような事も、おかしい行動ではなく、人の普通の生きる様として肯定し合ってくれ、かつ、それを心地よく無視してくれるのである。それはかなりの人数が動員されている警備の人々も同じだった。これが田舎であったら無理だ。まず声がかかる。あるいは人が来る、その人は警察である場合が多いだろう。僕は公園全体から漂うこの雰囲気が好きになった。

帰りがけに木立の合間に控えめに立つ碑文に眼をやる。おお、そうか、この公園も見附であったのか・・・そういえば今日の夜は赤坂見附まで出かけて行くのであった。しかしそう思えば恐るべし江戸城の巨大さ。是非一度、300年前に戻ってここから江戸を見渡して見たかった。今も変わらぬこの公園のような風景が、木々と川や堀、遠くかすむ天守と共に見渡せただろうに。今年の冬の東京は、こんな感じでとっても楽しい日々でした。今度はどの公園に走りに行こうかな? ちょっとライフワークにしようかと思っています。東京、最高だぜ!
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# by color-code | 2004-12-11 19:59 | ねじれ頭がぷかぷかぶーん | Comments(0)
陸で干からびてます
今月は、言いたくは無いのですが、現場の海がヒマな為に、僕はどちらかというとパソコンと向き合う日々が続き、撮りためたフィルムのスキャンや、様々な画像のスライドショー等の作成に没頭していました。100mmのレンズが入ったハウジングはフィルムが2ヶ月入りっぱなし。多分中身腐ってるんではないかと思う。あまりにかわいそうなので、こないだ(かなり前)芝生の上で、ナナフシ(昆虫)を撮ってあげた。それが面白かったりして。やべぇ、昆虫スゲ! イザリウオよかスゲ!! 広角のレンズはもっぱら愛犬のエアーの撮影に使われ、全然水の中に入らない。この犬を愛してはいるが、撮影するのはそのような理由では全然なくて、修理に出していたストロボのTTLチェックとか、季節の節目の空の色のチェックとか、そういう理由で撮られているに過ぎないので、大抵彼はロールの最初か最後の2コマ程度にしか顔を出さない。あぁー、豪海に出す写真なんてどうするよ? 無いじゃん撮って無いじゃんアナタ、何してんの? 出せるの? それでいいの写真好きなのやる気あんの? 並居るスーパーな人達のとこに混じってていいの、引退すんのその年で何すんのこれからコンビニ? 運転? テント暮らししちゃうか?・・・・と、頭の中に住んでるもう一人の僕にさんざんネチネチっと説教されながら、それを黙々と無視してパソコンのモニターを見ながらマウスを動かし続ける自分・・・とあるテーマを持ったスライドショーを作成していたときに、数百枚の作品をせっせと繋げてそれも後半、完成間際のコマチェックをしていたときに、その出来事は唐突に起こったのでした。

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涙が出るほど苦労して撮り貯めてきた、いわば渾身の力作と間違いなく言える写真の数々が、たった1枚の、アングルすら確認せずにボタンだけ押した、しかも窓が曇ったハウジングに入れたコンパクトデジカメの、おまけに廉価機の、人々の笑顔が写った、レンズ曇り気味自然ソフトフォーカスのスナップショットに、周りの前後数十の画像があっさりとお株を奪われていくのを見てしまって、ビックリしてしまったのだ。何だかやるせないがこれが現実、人が写りこんだ絵の物凄い力というべきか・・・しばし絶句・・・改めて新鮮な驚きと共に、再確認をしたのでした。画角が、寄りが、ピンが、周辺光量が、シャッタースピードが、このレンズが、これだけの労力が、時間が・・・人の心は、そのような判断基準では決して動くことも、震えることもあるまいし、そしてこれからも、それは変わらないんだなー多分・・・。たいした腕も感性も、根気も、そしてお金も無いのに、新しく超音波モーターとブレ補正が付いた大口径のレンズを今にも買おうかと、ヤフオクでマウスをクリックしかけていた僕は、このあたりまえの現実を今更ながら再体験して、レンズ購入をやめたのでした。我ながら賢明・・・だったかもしれん・・・とりあえず自画自賛しとこ、ムダ使いしなかったし・・・でも皆さん、こう思う事ありませんか? 小中学生が携帯で撮る写メ見て、構図の新鮮さやそこに写るあまりに自然な笑顔に、もう完璧負けだわ・・・って思ったり、それに似たことって、この頃結構感じます。お出かけの時に「特別に」カメラを持ち出して、襟を正していた僕達の世代とは圧倒的に機会の差が違いますよ、今の子供達。ハッ!っと気が付いたときに、もう右手に携帯出てるんだもん、勝てねぇー、マジで。その画像は今回載せません、なぜなら万人が見て心が震えるような種類のものではないからです。限定的な人間の心に作用する作品、でも、もともと写真って、そんな目的で始まったような気もしてきます。それをより多くの人に訴えるのは、難しいものですね。作品の優劣といったものでもないですし。

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少し話しは逸れ、自分自身が写った写真というのは、皆さんもそうでしょうが、実は大して持っていない。ガイドの私達なんかは、水中で自分が入っている写真など、所有することあんまり無いのです(それってばもしかして僕だけかな!?)。 そして今回の絵は、実は僕が写っています。写したのは当然僕ではなく、同僚の堅田なんですね。なんでこんなの引っ張り出したかっていうと、僕、自分で言うのもなんですが、かなり極悪ヅラしている上にスキンヘッドですから、水陸共に、自分の画像なんぞ見れたもんじゃありませんってば、自分で見て顔そむけちゃうもん、3枚に2枚くらいホントに・・・しかし彼が収めたこの僕の画像、仕事中の甲斐甲斐しく動き回り、後ろのゲストを見ながら大物の到来を待つガイドの激しい動きが、それはそれは見事に映りこんでいるように自分には見えて、今でもなかなかのお気に入りなんですねっ、いいんだろっか? こんなの出してて僕。で、これが先に書いた、廉価なコンパクトデジカメ、ストロボなしのハウジングのみ、しかも仕事中勢いあまって押しただけ、という、気合いゼロのどうにもならない状況で撮られたものなんです。しかも曇ってる、っていうか少しポシャッてない? ところどころ・・・でもこの動きの感じ。自分はこんなのをいつも狙ってるはずじゃなかったか? こんな重たい仰々しい鉄の物体を抱えて。しかし、それに全くもってぜんぜん勝てん。何やってんだろう、俺って今までって、思うんですよ、こういうの見てしまうと。コンパクトデジカメでも可能な広角側28mmっていいですよね。見てて新鮮ですよね。 見たまんまっていうんですか、なのに今、水中写真で最も冷遇されてる画角かも知れませんね。廉価デジカメから、また一つ学んだ僕なのでした。買おうかな、28mm・・・ってオイ、反省してねぇーじゃん買うなよぉー。
今年の最後の1枚は、クリスマスは、やはり僕には似合わないし、あんまり関係ないので今年最もインパクトがあった、いや、悩まされた、そしてムカついた、台風一過の恐ろしく高い波(多分20mある・・・怖っ!)で終わろうかと思います。端に立ってる命知らずな仕込みっていうかサクラのオトコは、もう、お分かりですね? 同僚の堅田です(笑)。

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# by color-code | 2004-12-01 13:46 | 豪海倶楽部記事 | Comments(0)
物申す・・・ ③
ようやく最終日に漕ぎ着けました。って、勝手に決めたんですが、しんどくて・・・よしっと! 3回目ラストです。今日から読まれた方、話全然つながらないので、「一括表示」だと読みやすいです、あっ、皆さんそうしてますよね? 

自分は山奥の、川が流れる場所で育ちました。最初にそこに引っ越したときは、あまりの田舎さに絶望しました。家には囲炉裏と土間があったんです、更に信じられないことに風呂はガスではなかった。薪風呂だったんです。逃げたいくらい不便な数年でした。でも不思議なことに、何処から聞きつけたのか、大工さんや土建のおじさんが、薪風呂に入れてくれって、ガスじゃダメなんだ、温まるんだこっちのが、って言って、入りに来てた時がありました。そんな雅が子供に解るわけ当然無いんですね、木はそこらの山から切り出して、斧で割って薪にして・・・戦国時代の農村か、オイ! って、風呂沸かしてる自分に突っ込んでました、6歳くらいの時(笑)。 

山、川、勿論海、みなそうですよ、予想がつかないし、上手くいかない場所じゃないですか、そして大変に不便です。でも僕達はそういう遊びを選択したんですよね。それで本当に素晴らしい光景に日々出会っている。ダイバー以外、こんな世界を見れないですよ、これを僕は誇りに思います。魚の名前とか、それが珍しいとか、群れてるとか、でかいとか、そんなの抜きにしませんか。数メートルの水中に10分でも入って何かしてるって、凄いことだと思います。だからそう、もうそろそろ、修正する時期に来てるかもしれないと思うんです、この業界。そして、これはガイド側、案内する側から発信しなければいけない事ですし、いろいろな要素が絡んではいますが、そうなってしまった原因の大半が、サービス提供側にあるのだと僕は思いますから、それを元に戻したときの反動は凄いものですし、当然売り上げに直接響くと思います。それが何であるのかを、今ここで全て書くことは出来ません。なにしろ私達は、今それで生活しているのですから、きれいごとばかりも言っていられないですから。

多分どんな職業もこの2つのせめぎ合いなのでしょうね、これは避けられないし、避けたら退化するのでしょうね。でも例えば価格破壊を合言葉に、本島のホテルなんかは、1名あたりの1泊の利益が100円なんていう値段を平気でやって、それで閑散期の客室稼働率90%とかの数字と叩き出してたんですよ、たった数年前のことですが。これでフロントの人にまともな対応しろって、100円ですよ、ガキの小遣い以下です。これで数名のスタッフが1日掛けて1人のゲストに親身になれって、それ常識で考えて無理ってもんでしょう? それやり始めた店が悪いんですよ、勿論。でも日本の世の中がそれを誘導したのも事実です。そして、別のなにかを切ったのです、分からず、気づかないように。でも消費する僕達は、未だにその両方を要求してるんですね、それって無理が生じて当然です。だからこの頃その手の産業は癒しとセレブという2つの単語を使って帳尻あわせしてるように僕には見えます。海は当然ですが、エコツーリズムです。僕にはこの言葉の意味が正直さっぱり分かりません。多分、なんとなし雰囲気だけ解かっておけばOK、と、僕の足りない頭が指令出してるんですね、非常に危険な単語ですね、暴風のさなか泥酔して車乗る並みに。それはまた別のときに物申すかもしれません。 

うるさい物言いも今日で最終日になりました。お付き合いいただいて、本当にありがとうございます。しばらく、というか年内確実にお暇ですね、この手の小言とは・・・さて、最後です。絶対・何%・確率・○○狙い・・・、この些細な、ささやかな希望が混じったゲストの言葉に、ガイドがどれだけ奮起するか、どれだけそれを達成しようと無理をするか。そして、その無理は、結局見られる側へ、より強いストレスとなって押し付けられます。確実に何かを見せる、という行為のツケは、確実に見る対象にかぶせられるものです。逃げで言っているのではありません。海というフィールドに、無理やり押しかけてる僕たちが、更にそういった人の都合、せっかく休みとったのに。とか、○○いないんじゃね。とか、そういうのまで求めるのは、なんというか、アンフェアですよね、そう思いません? その類のサポートを、積極的に、いや、商売の糧としてやっているのが、今現在の日本のガイドサービスのあり方です。このジレンマはずっと前から、そしてこれからも続くのですが、ずれは年々大きくなってる気がするんです。僕はそれが本当にこの頃怖いのです。 僕達スクーバダイバーって、とことん幸せですよ? サーファーは、波待たないといけない。ウインドサーフィンだって、風待ち。この手の遊びの中で、船で自由に好きに移動して、陸上の天候にさほど左右されない海の中で遊んで・・・、他のマリンスポーツに比べたら、人間がコーディネート出来る環境要素は格段に広いです。これで充分ではないですか。台風、雨、寒い、熱い・・・、サーフボードやボディボード持ってる人、台風前や台風あとの土砂降りだろうと大喜びで海、早朝から行ってます。冬でも、自分達ドライでもしんどいのに、ショートジョンの反則衣装で満面の笑みで波乗りしてる。僕達、もうちょっと謙虚でもいいですよね? 海に入った、潜った、帰ってきた、最高! ラッキー! ダメですか・・・?
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# by color-code | 2004-11-05 20:11 | ねじれ頭がぷかぷかぶーん | Comments(0)
物申す・・・!! ②
 昨日は後味の悪いことを沢山書いてしまいました、スミマセン。宜しくっ! とか、ゴメンネェ! って、必要な言葉ですよね、やっぱり。絶対そうですよ、潤滑油みたいなもんです。

でも言い切ってしまうと昨日のが覆ってしまうので、粘ります。僕にはこの頃、その言葉と一緒に、自分の身の保全を図る、生きているのであれば、普段一番自分が責任を持って当然の事を、日常生活なら当然のようにしていることを、よりによって誰もが手におえない海というフィールドで、ダイビングで、他人に転嫁しやすい気持ちがある、そしてそれは年々大きく育っているのではないか、という予感があるのです。誰も適わないって事が解っているのに、です。これってどうでしょう、飢えたトラに逢って、少しばかりトラを見慣れた人に、「俺、トラ見るの初めてだし、見たいしさ、一緒に近づこうよ、でもなにかあったら任せた、よろしく!」って言って、何かあったら責任取れよぉー、って言うのと同じかもしれないじゃないですか。勿論、私達は職業でやってるんだから、あたりまえっていうのはありますから少々、いや大分筋違いですが、でもなんとなし似ていませんか? 事前に予防する策は沢山練ります、そして実行します。でも結局操作出来ないじゃないですか、海なんて・・・調教、無理でしょう?  

ハンディキャッパーの方々も沢山いらして、ダイビングを楽しんでいます。本当に素晴らしいですよ! 自分のままならなかった身体のことを、一瞬忘れるんです、普通のダイバーより遥かにすばやかったり、普段手話を使う人は、水中で陸上と何ら変わりなく会話しあっていたりするんです、たまに水の中でそれを見て、すごく嬉しく、うらやましくなったりします。足腰の弱った年配の方達だって大勢いらっしゃいます。泳げない人だって、船酔いが極度に激しい人も、タンクが一人ではとても背負えない人も、BCのボタン操作も、ウエイトの締め方も全て忘れてしまった10年ぶりの人も、様々な方がダイビングにいらっしゃいます。全ての方に、ダイビングって、素晴らしい! 貴方でも出来るんです、大丈夫です! 僕たちがきちんとサポートします! 全力でします! そういつも思っています。その為に自分たちが居ます。でもこれは解ってください。そう思っていても、どんなに能力が高くても、先に書いたとおり、適わないんですよ、人間一人の力なんて所詮。 

ダイビングは誰にでも出来て、楽しくて、安全なスポーツです・・・って、そりゃそうですよ、当然です、だから皆が出来るんです。でもこの言葉って、単語抜いてませんか? きちんと自己管理して、様々な起こりえる事態にに対して予め想定して、というより最低その気さえあれば、という条件付きだと思うんです。それは人に、ガイドやバディには決して寄りかかれない、寄りかかってはいけない根っこの部分の心構えの問題です。これをしないのは、人権を放棄するのと同じにすら、僕には思えます。ダイビングは、はなからこれを当然の事、という前提で出発した遊びのはずですよね。僕は人間が普通に出来る歩く、走る、跳ねる以上のことは、基本的に全て危険だと思っています。自転車に乗ることも、飛行機も、アパートの3階に住むことも、TVで遠い国のニュースを生中継で見るこ事などある意味かなり危険度高いと思います。そしてダイビングもある種類のそれを持っています。自分は車の運転免許を持っていて、交通法規は勿論知っているけれども、肝心の運転者が赤信号の意味を知らなければ、あるいは知っていてもそれを尊重しなければ意味が無いですし、正直、今日の天気予報を知らない人が、どうして安全にダイビングが出来るのですか? 自分でエントリーの準備をする「気力」の無い人が、水中では安全、ありえますか? それで無事に帰ってくるのは、運が良かったとも言い得ませんか? 乱暴に言ってしまえば赤信号無視して直進して、たまたま車が走っていなかっただけ、これと同じです。 では500回、これが続くでしょうか・・・車の運転とは全く違う危険の種類だということは、承知で言っているのですが、さて、その事態が起こったとき、ツケは大きいと思うんです、この遊びって。

 台風あとの増水した川でキャンプして取り残される人、居ますよね、たまに。あと何故か大荒れの港の護岸に近づいちゃう人・・・ニュースで皆に見られて、少なからず失笑されてると思うのですが、僕を筆頭に、ダイビングでそれをあたりまえにしてるんじゃないの? って、この頃思うんです。皆さん、どうですか?

-明日まで書きます・・うぅぅぅ・・・-
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# by color-code | 2004-11-03 20:07 | ねじれ頭がぷかぷかぶーん | Comments(0)
物申す・・・!! ①
さて、想像してみてください。

ゲストパターンA:
何も居なかった 小物は見ないです どのくらいの確率ですか? もう○○はいい

ゲストパターンB:
この時期のお勧めは何でしょう? この魚、何ですか? 何でこの魚、こうなの? いいねー

どちらの人に、ガイドはより実力を出し切れるか・・・みなさん、わかりますね。災害復旧支援に来た自衛隊員に、その迷彩ヤメロとか、軍のやつらー! とか言ってる人間を、命掛けて隊員は守る義務ないですよね? しかしこの手のガイド有効利用術の問題を最初に言ってなんですが、敢えて放って今日から3日間ほど、少し乱暴な物言いをしてしまうと思います。最初に謝っておきます。申し訳ございません。でも気持ちのある一部分です。僕達ガイドという種類のどちらかと言えば現場肉体労働系の人間は、すみません、って言われるより、ありがとう、とか、こうしてくれたら嬉しいよ! 助かるよ! っていう風に言われたほうが、遥かに嬉しいし、力が出せるんです。だから皆さん、どうか僕たちに、そういう風に声をかけて、そう僕たちを使ってくれませんか? なんでこんな事言うかっていうと、ダイビング前や、後の「すみません」は、僕たちにとって効果が殆ど無いことの方が多いのです。この言葉が出てしまう気持ちは実は僕はとても不器用なので、よく解りますし、自分も多用します。どういう気持ちで投げかけているのかも、その不安な気持ちも痛いほどわかります。以前、ある別の会社に勤めていたとき、新人があまりに単純な事が出来ないのを嘆く主任に、支店長がこう言って諭していました。「あのね、今君がコンビニ行って就職して店頭にいきなり立たされて、すぐPOSレジ打てる? 簡単だよ、客層や簡単なコードを打って、バーコード読むだけ、でも、出来る? 出来ないよね、そんな簡単な事が出来ないんだよ、そういうもんなんだよ、始めたての頃はさ、みんなそうなんだ、なんで許してあげられないの? 何で腹立ててるの?」と・・・。その諭されていた主任とは、僕のことです。昔の自分を諭してくれたこの先達に、今は感謝しています。でもなかなか難しくて出来ませんよね。

でも話は戻します。波や潮流、風・・・とにかく海にはどんな超人でも歯が立ちませんし、逆にどんなに体力・気力の無い人でも、超人でもハッキリ言って関係無いですよね、海からすると同じタダの人ですから。そう考えてみれば、ビギナーだからといって、そんな事は海はお構いなし、5mの大波も、マスクが飛ぶ激流も、海はレベルを問わず等しく与えてくるのですね、そこでスミマセンって謝っても海は全然手加減してくれませんし、そこだけ2平方メートル風が弱まるわけでもありません。バカヤロー!って言ってても、来る波風は等しく一緒です、当たり前ですが、辛い思いをしても、怪我をしても、責任は取ってくれない。じゃぁ、なんでスミマセンなのかっていえば、周りに対する言葉ですよね。でも海が手加減してくれない以上、やはりこれはあまり意味の無い言葉ですよ。確かにバディやスタッフはそれでより一層のサポートしてくれるやも知れませんし、もちろんそうします。しかしそれは先に言ったとおり、超人でもダメなのにましてや・・・ですよね。これとほぼ同義語で、「初心者なので、宜しく」というのがありますが、これも同じ意味で、あまり効果が無いと思います。敢えて言いますが、本当にそうなのです。それで安全になるなら、私が何度でも言います、でも言いません。海はそう言った人に、手加減してくれないからです。

-明日へ続く予定です-
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# by color-code | 2004-11-02 20:05 | ねじれ頭がぷかぷかぶーん | Comments(0)
祭りはどんな土地であろうと心が震える 胸が軋む
記憶は決まって 赤で染まっている これからもきっとそうだ
限られたその日だけの永遠 太鼓の音は絶やされることが無い
彼らは 何かの拍子に 広場の端からいつもふいに現れる
そして音色だけを残して闇へと消えてゆく精霊の集団

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燃える腕はしなやかに夜空へとしなりながら伸びあがり 飛ぶ
地鳴りの音とともに 赤い地に両足が突き刺さり 跳ねる
重力を 月の光を 自在に動かす者たち
粘液質な夜の花の香り 心臓の脈動で島が揺れだす
鼓動はあまねくひろがり 地も脈打ちだすころ
伸び上がる腕とうねる足は果てなく続き
褐色の渦となって 南の海を越えよ
地と空に溶け エイサーを舞い 刻から放たれる者 来たれ

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# by color-code | 2004-11-01 14:02 | 豪海倶楽部記事 | Comments(0)