病者の祈り
大事をなそうとして 力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと 弱さを授かった
より偉大なことができるように 健康を求めたのに
より良きことができるようにと 病弱を与えられた
幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして 権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと 弱さを授かった
人生を享楽しようと あらゆることを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと 生命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた
神の意にそぐわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは全てかなえられた
私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ
- ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれた患者の詩 -
今年の僕は 2週間の入院から始まった
間違っても良い船出では無い 年越しと正月だった
ガイドの仕事柄 体をまともに動かせない事態に
焦りとやり場のない怒り そして恐怖で身体が震えた
病室と待合室の数十mの生活圏
窓の外の天気と壁をひたすら見続ける
毎日 壁に貼られたこの詩を見ていると 不思議と心が落ち着いた
僕は 人に宣言できるような立派な信仰を持ちあわせていない
これからも無いだろう でも こんな信仰なら
理解しようと思えるかもしれないと ふと 思ってしまった


今はもう全開で潜っています
快気祝いということで お祭り騒ぎを1枚!!

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# by color-code | 2004-02-01 15:02 | 豪海倶楽部記事 | Comments(0)
記憶・・・
実はここ2週間ほど、僕はショップで肩身が狭い・・・気がする。正月早々休んだ訳でも、陸でパソと毎日にらめっこしてるからでも無く(少しそうだが)、実は去る1月6日、復帰当日に川本邸で飲みまくり、スタッフ全員に、からみ酒の限りを尽くした為なのだ。

反省しようにも、記憶が無い・・・無いんだもん、しょうがないんだもんねぇーって言えない状況なのはお分かりのとおり。記憶は川本家の階段を上っていくところから、プッツリと途切れている。だからその断絶の数時間は、美香さんが次の日、事細かに解説してくれた。最初、何を言ってるのか全然解らず、記憶を無くすまで飲んだのなんて、15年位無いし、聞けばホントにからみ過ぎっていうか、完全に一番ヤバめのオヤジからみ酒状態、そんな事、まかり間違ってもそんなねぇ、BOSS相手に、しかもBOSSの家でねぇ、しないっすよぉ、ありえなぁーい。って聞き流してたらどうやら本当にしてたらしい。

数十分間悪行の数々を聞かされながら、所々記憶がフラッシュバックしてきた瞬間、僕の顔が、いや顔色が変わる。美香さんの超ポジティブな善良市民的解釈によると、私ことアツオは、その日久米島に久々に帰ってきたことが、よほど嬉しかったらしい。まぁ、そんな訳でドカドカ飲んで、絡んでスッパリ記憶を無くして次の日満面の笑みで出勤してきたのだという。完全に馬鹿だ、情けない。自分にひどくがっかりする。聞けば聞くほど思わず頭を抱えたくなってくる。美香さんは、あと5年は言い続けるよと早くも宣言しているので、言われる前に書いてしまおうと。

まず、冬場よくクジラ船に乗り込んでワッチの役目を見事にこなすタツヤ、別名「川本・タツヤペア」相手に、シーズンピーク突入前夜ということでなんと講釈を垂れ始めたらしく、出だしはなんと、おまえ等ねぇ!だったらしく、その時私以外のスタッフは凍りついたそうだ。書いてて今、自分も凍った。その後マコトの自宅パソコンのあまりの低スペックぶりを、アップ系のクスリ結構飲んじゃってるもんねぇー。 みたいなテンションで延々責め立て、深く彼を落ち込ませた後、剛志さんに向かっていきなり大マジな顔で、美香さんって、マジで綺麗っすねぇ・・・と、じっと見つめながら強く主張し、再びスタッフは凍ったという。ハッキリ言って救えないよ、もう・・・。その後、川本家の17.5インチワイド液晶、ペン4-2.5G、240Gハードの超高級機パソのバイオ様に向かい、キーボードを壊れそうな勢いで叩きながら何やら検索しつつ(不明な言語だったらしく、途中で誰かが代わったらしいが)、なんていうか、こんなん持ってても、回線がISDNじゃねぇー、ダメ、使えねぇー! おっせぇー! おっせぇーんだよっと! とパソコンを苛めだしたため、そこらへんで美香さんは、ピクピクしながら、マコトやジュンペイに目線で、もう帰っていただいてもらえないかしら光線を必死で放射していたらしいのだが、私は一向に帰ろうとしないで富永愛のHPかなんかで、彼女の脚の長さ加減を力説していたそうだ。そして私は次の日それを言われるまで、富永さんという人の存在を知らなかった。謎はどんどん深まるばかりだ。試しに今検索してみる。とても人と思えない生物の画像が出てくる・・・ノエビアのCMに出てくる女の人の絵の実写版みたいだ・・・果たしてこの人は、本当に人なんだろうか・・・横に居たら、おっかないから逃げる・・・そのくらい、すっげぇ脚だった。ちょっと待て、いつの間にファンになった? というよりいつ知った? あぁ、記憶が・・・もしかして、それってばもう一人の僕? っていうか、何番目の僕なんでしょうか?・・・あぁ、誰かぁ・・・。

そしていい加減帰ろうとなって、ハンドル握ったら確実に5秒以内に事故るくせに、俺の車ってば、どこ? どこ? と、送ってくれるマコトにだだをこね続けたそうだ。去り際も極端に始末が悪い。今、僕は激しく自己嫌悪だ。記憶が無い、今、こんなお酒の飲み方をしてしまう、しちゃった僕がとっても怖い。お酒って怖い・・・。タバコも辞めたし、この際お酒もやめよっかなぁ・・・なんて。記憶が飛んだなんて、16の時、好きな女の子の前を口説いていた後に、飲みまくって記憶が飛び、次の日フラれており、彼女の目の前で吐いてた、しかもテーブル! と友人に聞いてからトラウマとなって以後二度と無いと思っていたのに・・・。本当に反省だ、もう止めよう、絶対に。だから今回のは、僕が知らない僕の妖精がしたことにしたいんですけど・・・いいでしょうか・・・・?

ところで一昨日、久しぶりにスタッフが自宅で顔をつき合わせて飲んだ。とっても楽しい3時間ちょっとのお酒だった。問題がひとつある・・・・記憶が無いのだ・・・・・
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# by color-code | 2004-01-21 20:26 | ねじれ頭がぷかぷかぶーん | Comments(0)
クジラの魔性
圧倒的な大きさを、数字で表現し、理解してもらうのは難しい。1ピコ秒といっても今ひとつピンとこない。これはやはり刹那と表現したほうが良いと思うし、そして、この言葉は数字にはなり得ない。これと同じで、ザトウクジラの巨大さを、数字で言い表すのはナンセンスだ。これは実際に見ないと解らない。バスが水中で移動しているくらいに大きいのだけれども、これは表現としては適切ではない。バスくらいに大きく、しかもその大きさの4分の1が顔で、そして生きている。そう、生きているのだ。同じ地球に、今、この私の眼の前で。
それ故、この生き物を、水中で見たときの衝撃は凄まじい。今までそれを果たした数百人のダイバーを見てきたけれども、何か変わってしまった。というより、その中の多くのダイバーが、何かにとり憑かれたと言ってもいい。その水中でのわずかな遭遇の時間、たった数秒間を、私達は一生忘れることは無く、季節が変わろうとも、ふと気が付くと頭の中にその光景が押し寄せてくる。これが何か価値のあることなのか、私はわからない。ただその遭遇の数秒、数分の時間というのは、私達が普段想像すらできない、濃密な時間なのは確かだ。だからこの巨大な生き物を、野生の状態で、身をその眼の前にさらして見る、このチャンスは未来永劫、決して絶やしてはいけないと確信する。商業目的や、人間側の論理や価値観、そのような原因でこのチャンスを自ら放棄することは、人の進歩や、他の生ける者への理解では決してないと思う。しかしこの機会が与えられる海は、もうそれほど残されていない。僕はこの事をとても残念に思います。

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クジラを見ていて常に思うのは、この生き物は、いわば、僕達の事など眼中にないのではないかと私は思う。遊んでくれた時は、たまたま疲れていたか、移動する気が無かったのか、ちょっと面白かったのか、ヒマなのか、まぁ、とにかく私達など完全に蚊帳の外なのだ。彼らは私達が思うより遥かに複雑な心理を持ち、賢いだろう。しかし私達の物差しでそれが全て解ろうはずもない。仮にクジラにとって優しいウォッチングルールなるものが存在したとして、100m以内に近付いてはいけないというルールがある(実は多くのホエールウォッチングサイトで、これと類似したルールが存在する)。
では、もし彼らが私達が近づく事にストレスを感じる時があるとするのであれば、それは数字にすると100mであると、一体誰が決めたのだ? クジラでは決してあるまい。仮に100m以上は絶対近寄らずに厳格にルールを守り、あぁ、僕ってクジラに優しい人なんだ、と思っていても、当の彼らはそんな事は心の底からどうでもいいと思ってるかもしれない。これはある意味悲劇であるし、近づいても良い距離というのは、様々な条件で常に変わるものだ。それは人同士でも一緒の事ではないか。そんな人間の作った傲慢さの見え隠れする論理のルールの枠にはまるほど、彼らは愚かではないだろうし、そのルールが細かく、厳しく人を縛れば縛るほど、その向こうの景色は偽善の色をますます濃くしていくだろう。
唯ひとつルール、基、心構えがあるとするなら、見れる、見れない、近づける、近づけないの判断は、私達がする事ではなく、彼らがする事なのです。僕は、その大きな興味深い生き物を、もっと真近で見たいという、僕の中の欲求が叶えられればそれで幸福です。その気持ちは汚く、ドロドロしたものかもしれない。でも僕は、彼らに私達の言葉で言うことがあるとするなら、ほんとにゴメンな、チョット立ち入らせてな。のあと、邪魔したな、でも又来る、悪いけど来るわ。この二つでいいじゃないかと思う。乱暴な物言いかもしれない。しかし一度、その瞬間に立会い、乗りあった人々の、ボートに上がってきた瞬間の素晴らしい表情を見てしまったら、理屈など全て吹っ飛んでしまうのですよ。あの時の人間達の顔というのは、彼ら、ザトウクジラと同じように、皆さん、本当に素晴らしいのですよ。
私も彼らの魔性に取り憑かれてしまった一人です。大きいものはいい! ただただ・・・・素敵だ、なんて素晴らしい!!
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# by color-code | 2004-01-01 15:04 | 豪海倶楽部記事 | Comments(0)








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水中に虹をかけたくて、チョウジガイの仲間の貝殻をレフに使ってみる。予想以上の仕上がりで満足。
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# by color-code | 2003-12-13 12:05 | Comments(0)
ハラスメント
フラッシュの熱というのは、魚にとっては熱線のように熱いに違いない。水中でストロボの前に手をかざし、シャッターを切ってみると、それは私達人間でさえ、良く分かる。マクロ撮影時に、ストロボから僅か数センチの距離からそれを幾度となく照射される被写体の身になって考えると、それは拷問にも近いかもしれない。高倍率で、3灯、4灯のストロボとなれば、鈍感な私でさえ、その灼熱の瞬間が容易に想像がつく。
と思ってしまうと、とてもシャッターを押せなくなってしまうので、僕は水中で撮影するときにその事は頭の隅にも考えないようにしている。フィッシュハラスメントという言葉も生まれた。しかし私の中では今のところ、狩猟の楽しみのほうがそれをはるかに上回るので、他の生き物には大変申し訳なく思う事もあるけれど、暫くこれを辞めるつもりはないのです。僕は人間であるからして、他の諸々の生きるものに思いを馳せる事は出来ても、彼らにはなれないし、残念ながら代理にもなれない。彼らの気持ちと同化しようとする事だけが、彼らを理解する事に繋がる訳ではおそらくないだろうから。しかしこの姑息な言い訳は、どうやらあと20年も続かないのだろう。
初めて薄暗い部屋で、ビュワーにあかりを灯し、上がったばかりのスライドを並べ、あの色の洪水を見たときの驚きは今も忘れない。あの手のひらほどの光輝く板にのせられた数枚のマウントは、このような色が、一体何処の世界にあったのかと思うくらいだった。しかし最近、1ロール丸々1つの被写体で撮り切ったスリーブを並べ、その彼がコマのほとんどに、まさに怒り心頭の顔をしていたのを見たときに、少し驚くと共に、柄にもなく先に書いたような、そんな事を考えてしまった。下に写るシロオビハゼが、その彼だ。1時間近く彼の巣穴に覆いかぶさり、36回の熱線を浴びせ続けたのだ。36枚の大半に、この顔が映っている。僕には、この顔は、どう考えても怒っているように見える。
以前に出会った深場のイズハナダイの仲間も、ちょうどこんな眼で、私を見ていた。大深度という限られた時間のなかで出会ったトピックスに、喜喜として彼を追いかけ、もう何処にも逃げられない小さな穴の中に追い込み、いよいよ撃鉄をおろそうとした時の、ターゲットライトに浮かび上がった彼は、鱗も数枚剥げ、肉が露出していた。この先、彼が無事で生きていけるような傷だとは思えなかった。重苦しい対峙が長く続いた後、私はおもむろにシャッターを打ち尽して、逃げるように水面に上がったのだった。何故そうしたのか、今もわからない。そのポジを見る度に、僕は頭の奥のほうが重く、なにか窒素の味がじわじわと脳に充満してゆく気分になる。

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何も魚ばかりの話ではない。誰かを撮るという事も、僕には更にむつかしい・・・。沖縄のオバァの顔もそうだ。彼女たちは、泣くように笑う。数年前に気がついて、よくよく見るようになったのだけれど、見れば見るほど、彼女達の顔は、泣いているように見える。このなんとも複雑なあの笑い顔が僕は好きだ。しかし、何故泣いているように見えるのだろう? いつか満足いくように絵に収められればいいのだけれど、撮れるのは、その答えが見つかった時なのだろうか。それは多分、ずっと先のことのような気がする。いや、もしかしたら、それはもう先程、気付かずに通り過ぎてしまったのかもしれない。
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# by color-code | 2003-12-01 15:07 | 豪海倶楽部記事 | Comments(0)
「今日のダイビングは、これでキャンセルさせてください。」
込み合う数年前の夏の連休中、2本目にトンバラを潜ったあとに、数年前の同僚、トオルが一緒にその時潜ったダイビングショップのオーナーに言われた言葉・・・。

彼がその話をしたのは、連休が終わり、少し落ち着いた日の夜のアパートでだった。トオルは、今思い出しても、切れ味の鋭いガイディングをするチーフガイドだった。その日のトンバラは、彼が言うに、非常に良かったという。彼が言う良かった、は、本当にかなり良かったという事だ。その直後にショップのオーナーからの突然のダイビングキャンセルの申し出、正直なんで?? と、トオルは思っただろう。そのあと、そのオーナーは、言葉短く、こう言ったという。「今回のトンバラはすばらしかった。これ以上のトンバラは、今日無いでしょう。だから、今日はこれで終わりにします、最高でした。」

僕は、ガイドに対する賛辞の言葉の中で、これ以上の言葉は未だ思いつかない。トオルにとって、その日は人生の中でも最良の日のひとつとなっただろう。僕はその話を聞きながら、彼のことをすごく羨ましく思っていた。ガイドが一生に一度、出会うか出会わないか、そういう言葉だ。彼はそれを話しながら、うれしそうな、何か苦虫を噛み潰したような、複雑な顔をしながら僕と一緒に酒を飲んでいたのを、今でも鮮明に思い出す。

今年最後の連休が昨日、終わった。海上風速15メートル近くの強い北風と、時折降りしきる雨、残念ながら間違っても良いコンディションでは無かった。その中で、出来る限りの仕事をし、夜にロギングをしに、ゲストの集まる居酒屋へ行った。ひとしきり、海の話題が続いたあと、少し離れた場所に座っていた年配の女性のゲストが私に振り向き、こう言った。塩入さん、今日のガイドは艶っぽかったわよぉ。

僕はしばらく、返事が出来ず、数十秒黙ってしまった。うれしかった。何をしたわけではない、でもその人は、そう言ってくれた。ガイドにとって、これほどのほめ言葉もまた、無い。僕はこれから先、これだけの言葉をゲストから頂くことは、数えるほども無いだろう、いや、もう無いかもしれない。僕は、週十秒黙り込んだ後、ありがとうございますとゆっくり言い、深々と頭を下げた。

もう一度言ってもらえるように、もう少し、がんばろう。
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# by color-code | 2003-11-24 20:27 | ねじれ頭がぷかぷかぶーん | Comments(0)
京都よ・・・
事務作業中におもろい事がありました、京都の学生と話している時に。

案内状送るから教えて。と、住所を聞いてみる・・・長い・・・長すぎる・・・。どうして京都の住所はこんなに長いのだ?? しかも最後には「西入る」とか、「東下る」とか説明入ってるし・・・オイ、京都よ、その説明を簡略化するために番地というものがあると思うんですけど・・・。そんなこんなで半分キレぎみに住所を聞き出す。その一例がこれです。「京都府京都市上京区今出川通大宮東入2丁目西船橋町アクシルコート堀川今出川○○○号室」・・・

これは呪文だ・・・結界を張る呪文だ。と言いきかせながら書き留めたが、何故マンション名までこうも長いのか、はなはだ疑問だが、とりあえず写経の気分は満喫できる。4.5件書けば、般若心経が出来てしまう。とりあえず、京都ではがきの宛名手書き請負の仕事だけはすまいと心に誓う。という事で、若健(読み:ジャッケン ・若年性健忘症の略・ちょっとタイムリー・若くて健康、ではない・僕は前向性)の僕は、京都市内には住めません。転勤しても自分の住所は絶対覚えません、いや、覚えられません。それに、ここで生まれた子供は高校生まで自宅の住所が書けないと思うぞ。更にはがきが、あたり一面住所で埋まってしまうじゃないか・・・無理! ギブです。

で、姓が武者小路だったりして・・・・ダメ、エンドレスだわ。
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# by color-code | 2003-11-02 20:29 | ねじれ頭がぷかぷかぶーん | Comments(2)