強さ
一昨日、久米島の南側、アーラ浜に、2頭のオウギハクジラの仲間が打ちあがった。この属は、まだ生態が不明で、比較的沖合いの深い場所で生活しているらしく、普通、近海で見ることはない種です。海人のボートに付いて来たらしく、そのときは既にかなり消耗しており、サメが隙を覗っていたらしい。そのうち1頭は、浜の浅瀬で絶命し、付き添っていた別の1頭も同じ運命をたどる。一昨日の朝、第1報を聞いたその足で浜に向かったが、満潮で彼らの亡骸は再び水中に戻っており、発見はできずに帰った。その数十分後かに、イタチザメが彼らの肉を喰らいに水際までやってきて、その瞬間には血しぶきが高く上がったという。その画像は私より少し遅れて浜に来た、琉球新報通信員の盛長さんによって撮影され、新聞社のHPでも見る事が出来る。

昨日の昼に浜に引き上げられた彼らは、4.5mほどであった。身体のあちこちに、イタチザメの鋭利な切り口が見える。大きな歯型がハッキリと確認できた。1頭は、頭を丸ごともっていかれていた。カメを甲羅ごと2つに割ってしまうイタチザメである。そんな事は朝飯前だっただろう。しかし彼らが食べた部分はクジラの身体のほんの一部であり、1頭はほぼ無傷といってもいい。それを確認してから、なんと無駄な食べ方をするのだ、このような襲い方をするなら何故2頭も殺す必要があるのだと、彼らの所業を少し恨めしく思った。水族館の研究員の方々は、熱心に身体の部位を見て周り、種の同定を試みていた。この属は殆ど分かっていない、ある意味貴重な研究対象である。膨大な費用をかけ、フェリーで研究所に搬送するか、そのまま埋めてしまうか、それは研究員の同定にゆだねられている。彼の眼は真剣だった。数時間経過しても、同定作業は終わらなかった。

私が最も印象深かったのは、クジラがサメに襲われ、打ちあがった事も、イタチザメの歯の物凄さも勿論そうであるが、彼らの亡骸の一部分、それもイタチザメが奪い取った部分より遥かに多い肉の部分が、既に島の人々の手によって鋭利な刃物で切り取られ、持ち帰られていたという事だった。報道や、昨今の感情から見ると、憤慨する方も数多いだろう。だが、それを見た瞬間に私が感じたのは、全く別の事だった。彼らは報道、研究員、官公庁がそれを知るよりはるか前にそれを察知していたのだ。そして波うち際、それも大量に血液が流れる、当然サメが集まってくる可能性のある中、おそらく陽の差さないくらい時間帯に、クジラたちの肉を解体し、自らの糧として持ち帰ったのである。強い日差しが照りつける中、彼らクジラは徐々に腐臭を発し始めている。もし仮にここで、肉がいっぱいあるよ、どうぞ好きなだけ持ち帰りなさい、と、誰かが発したら、誰か持ち帰るだろうか。この骸をそのように考え、処理しようと思える人間がこの中にいるとは思えなかった。その時、闇に紛れてその肉を自ら喰らう為に、危険を十二分に承知しながらこの地球のことわりにそって、かれらの肉を持ち帰った島の人々が、すごくたくましく、知的で、なにか人間という動物のもの凄さを感じさせたのである。

人間って、強いなあ・・・・。
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# by color-code | 2003-10-01 20:33 | ねじれ頭がぷかぷかぶーん | Comments(2)
どうなんでしょう、レアってば・・・
G-SHOCKという時計を数個持っている。貧乏人で物の扱いの手荒い私にはピッタリの時計だと、今でも思っている。黒ゴムに金メッキという、成金趣味と紙一重で成立させた、今でも褪せることの無いグレートデザインだ。10年ほど前、片田舎のアメリカ屋で40%OFF(14,000円位)で買ったそいつは、その数年後、定価の5倍の値で取引されるようになる。安くて頑丈が身上のこいつがレア物のトップに躍り出てしまったのだ。しばらくして、気に入っていたそいつは腕に付けられなくなった。10年後にはまた腕にはめられるだろうと思う。今でも私のお気に入りなのだから・・・。
おっと、こんな話をしている場合ではなかった。レア物というカテゴリーが、いかに広く、もろく、時にナンセンスで、はかないものかを言いたかったのです。下の写真、久米にしばらくいた、ハナゴイに1匹だけ混ざるパープルビューティーです。普通、この海域にはまずいない。実はこの手のもの、私はかなり、いや、大好きなので、今回のこの文の趣旨自体、どだい無理な話なんですが、とりあえずうっちゃって続こう・・・。さて、これをレア物といって、もてはやす事は簡単であろうと思う。ただ、フィリピン辺りに行けば、それこそ五万といるこの子を、久米ではレア物の烙印を押してもてはやし片付ける、というのは少々安易であろうとも私は思う。ゲストにその裏にある様々な可能性にまで、想いを馳せてもらってこそ、この状況でのレアという言葉は成立するのだから。
数ヵ月後、彼女は予想通り、このコロニーから姿を消した。彼女の行く先は、私にはただ、想像するのみである・・・。レア物と呼ばれる魚には、意外とこのケースと同じ、あるいは銘のみが先行して語られる場合が多い。正直、何かが微妙に履き違えられている、と私は感じる。と共に、この手のものが、超大好きな私が心の中で騒ぎ立てる矛盾と格闘してもいる。では固有種はどうか? しかしサクラダイはレア物なんだろうか? ユウゼンは? この両種が生息する可能性が極めて薄い海でガイドをしている私にと、っては、両方とも涎ものの生き物、でもやはり、ちょっと違うだろう。こうして考えていくと、私にとってレア物の定義は少々狭くなる。

・ヤバイくらいに深いところにしかいない。そこに行かない事には見れない。
・ガレ場の奥底、とてつもなく悪い透明度、泥、そんな観察しづらい状況に生息し、見るためにダイバーの技術と高いテンションが不可欠。
・種的に極端に弱い、数が少ない。
・正真正銘レア物である。が、あまりにオタクすぎて、誰もついて来れない・・・。

他にもあるけれども、多分このあたりだろう。あれ? 狭くないか・・・。この条件が場合によっては複数当てはまるはず。さて・・・・本当に見たいのか?? 上記の諸々の悪(?)条件を力技でねじ伏せ、しかしゲスト側から見ると、実にあっけなくサラッとやってのけ、何かしらの感動を与える事の出来るガイドというのは、実はそれほどいないと思う。執筆陣の方々は、勿論皆様そうだと思います。常に人に隠れて努力をし続けなければ、出来ない事ですから。幾多のガイドは、私も含めてそんな先輩諸氏の背中を「こりゃ、とてもじゃないが、追いつかん・・・・敵わんぞ・・・・そろっと止まってくれないだろうか・・・・。」と、極秘に頭の片隅で思いながらいつも追っているものです。しかし、それを成立させるには、ゲストにはそれなりの心構えも必要なのもまた確か。さらにその両者のバランスは、常にうつろい、そして危うい。

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では、それでもダイバー誌のあらゆる場所に顔を出すこの「レア」という文字は一体何なのか? この本文でも、もう既に10回近く登場してしまった・・・実は少し、いや、大分嫌になってきた、この言葉。綺麗、可愛い、いや、面白い! で済まないものか。私はハナハゼの妖しいあの姿が大好きだ。沢山居るけれども、それは私にとって好都合でしかないし、彼ら、彼女の妖艶さを決して貶めたりはしない。たとえば彼らがとっても少なく、水深がとても言えないような場所にしかいないとしたら、マニア垂涎のレア物と呼ばれるのだろうか・・・。話が少しずれるけれども、少し潜りこんだフォト派のダイバーに話を聞くと、意外な事が解る。

・ニラミハナダイのポジは持っている、しかし、ハナゴイは撮っていない。
・シコンハタタゼハゼはある。しかし、ハタタテハゼは、まともなものが無い。
・棚上の超普通種のスズメダイ、ベラ達の名が、どうも浮かばない。
・小物はいい、必要ない。でも珍しいなら見てもいいかな・・・?
・クマノミはもう撮りたくない、いらない。が、よく考えると満足いく絵は持っていない。

もし2つくらい当てはまってしまったら、これはいかがわしい世の中の何かに騙されてるとは感じませんか・・・? 美しいものを感じる、海を感じる、この目的にとって、これが弊害でなくてなんだろう? ノンダイバーから見れば、失笑されてしまうかもしれない。でもこれはよくある、いや、かなりの高確率である事です。久米の浅場は、超普通種、アカナハナゴイやハナゴイがそれはもう、凄い量でいる・・・いつ見ても、眼を奪われる。数メートルの安全停止水深では、ゼブラハゼが、鰭全開で、それはもう、視界を覆うほどいる。そしてその間をヤンセンニシキベラや、ハコベラ達のあらゆる成長ステージが一目で解るほど泳ぎ、彼らのハイブリッドも容易に眼につく。
またすこし話がずれるが、久米の海には、季節を問わず多数のプロカメラマンの方々が撮影に訪れる。アシストをしていて印象に残るのは、歴戦の兵のプロカマラマンの方々が、少なからず足を止め、喜々と撮影するのが、超普通種、アカネハナゴイの雄の群れであったり、ハナゴイの群れなのである。これを単なる押さえの絵と考えるのはあまりに浅はかであろう。この意味するところを、自分はよくよく考えなければいけないと思っている。そしてそれは、より進化したガイディングのひとつのキーとなる事を確信しているのです。

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# by color-code | 2003-10-01 15:12 | 豪海倶楽部記事 | Comments(0)
イザリウオの、あんまり使えない話
ダイビングをはじめて間もない頃、一番のお気に入りは、お約束のイザリウオの仲間だった。それは年月を経た今でも変わる事は無いのだけれど、その頃私が何故この魚に惚れ込んだのかいえば、エスカとイリシウムでも無く、その風貌でもなく、その驚異の捕食スピードでもなく、勿論和名の由来でもなく、胸鰭の基部に設置された、鰓口だった。口と鰓と連動して自在に可動し、噴射し、尾鰭を動かす事無くホバリングし、移動する。そのハイテク戦闘機のような装置に、私がマジンガーZを見ていた頃のように狂喜したのは当然のなりゆきだったかもしれない。ここだけ私のツボにはまってしまったのだ。
それからというもの、鰓口というその部位の名称をとんと知らなかった私は、バフゥゥー!って水出すから、バフゥー管! これでよし! と勝手に命名し、イザリウオを見つけるたびに水中で、「ねぇ、ねぇ! バフゥー管、見える? 見える!? 撮って、撮ってぇ! 顔、いいから、要らないから。後ろ45度からこう・・・」等とふざけた事を今でも叫んでいるような、真性の鰓口フェチになってしまったのだった。その後数年を経過、私はイザリウオのフォトストックというものに今ひとつ乏しい。理由は、「ほぼ鰓口しか撮らない」からである。足フェチなど、これに比べれば可愛いものだと自分でも思う。そのうち鰓口だけ見て、これは○○イザリウオですね!・・・出来ん。さて、下の写真は、最近の私のヒット、いや、バカ作、綺麗なエナガイザリウオの鰓口です・・・最近は、こいつが鰓口を出力MAXで使用し、砂煙を上げながら頭上に吹き上ってゆく絵をバック黒抜きで撮れんものかと悪戦苦闘していますが、どうも満足に撮れません。どなたかお持ちでしょうか?・・・皆様・・・バカだと思って軽く流してやって下さい・・・。

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イザリウオって、タコ並に変形するかもしれない・・・。と、思い始めたのは数年前の事だった。とあるダイビングポイントに、小さな根があった。そこには体長十数センチのソウシイザリウオが住み着いており、日中は発見できず、おそらく根に無数に空いた穴の奥にいるらしかった。彼は、いつも日没直後に出勤する。いつも決まって3センチ程度の小さな穴から顔を覗かせ、そのまま大きな顔を、その穴の輪郭に合わせてカパッとはめ込み、その後熱心に、グハァァァ・・・っと口を開けたりしている・・・バカっぽくて大好きだった。それでいて、きちんと出勤時間は守る。パチンコの開店には徹夜明けでも出勤するセミプロのようだ・・・ふと疑問がわく。こいつはこの根から、一生出ないんだろうか? そう思った数日後、彼は私の疑問に答えるかのように、3センチの穴からどう見ても5センチの高さはある顔をグニっと変形し、そのまま胴体を抜き、イリュージョン並の抜け技をやってのけたのだった。
その光景が頭から離れなかった私は、最近、決心をし、とある行動に出る。ガレ場の礫の奥深くに日中は潜んでいる事が多いイザリウオモドキを、引っ張り出して1時間近く、私と遊んでいただいたのだ。正直、ここにしか書けない事でしょうけれど。イザリウオを引っ張り出して、要は1時間苛めてたのですから。でも結果、彼の協力で面白い事がわかりました。イザリウオモドキに限っていえば、もう駄目・・・どうやっても逃げられん・・・。と観念した瞬間、多くのクモガニの仲間と同じように、擬死行動とも見える行動を起こします。下の写真がそうです。普通、彼らの顔はイザリウオの仲間の中でもトップクラスのデブ顔で、正面顔はものすごく可愛いのですが、限界を超えるとハリセンボンのように、膨らむのです。これは比喩では無く、完全に球形に変形します。丁度、魚が死に、ガスで身体が膨れたような、少々グロ(?)な形です。尾鰭は写真のように、身体に沿って丸め込まれ、小刻みに尾鰭を動かし、バランスを取るのみ、その膨らむまでの所要時間、3秒程度。そのまま地面に着いたらもう、表になろうが裏になろうが関係なし。全く無抵抗。うねりに任せて地面をゴロンゴロン・・・・そのまま死体のまま・・・30秒ほどたった頃でしょうか・・・、膨らんだままゴロンと仰向けに寝ている彼が、じぃぃーっと私の様子を覗っている・・・。「まぁ、そろっとOK・・・かな・・・?」と言ったかのように、しゅるしゅるとお腹をへこませて(この間10秒程度。あの膨らむお腹には何が入るのか・・・そんな基本的な事を、私は知りたい・・・)、とっととガレ場へと逃げていくのでした。私はこの光景を見て、これでまた新たにイザリウオに豪華スペックが追加された事を確信したのでした。スペック名「かなり変形可能」。
そういえば、2年ほど前、どう考えても入らないと思われる体高の半分にも満たない穴にスルッと入り込み、途中で穴が終了、尾鰭だけバレバレのイザリウオモドキかムチイザリウオも見た気がします。ただこれは、イザリウオモドキの様に、カイメンや岩の表面にへばりついて擬態をするのではなく、ガレ場の礫が詰まった奥に生息している事が多い、という、生息環境がそうさせているのかもしれませんから、例えば体長20センチのオオモンイザリウオがそうするか? といわれたら、何とも解りません。

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面白い隠れ方といえば、ヒメヒラタイザリウオもなかなか笑える隠れ方をします。普通、カイメンや岩、サンゴの間などに胸鰭をくっつけ、擬態している事の多いイザリウオ達ですが、このヒメヒラタイザリウオは、その和名の通りの極端に平たい身体を利用して、時に反則的な擬態をします。浅場などで岩を裏返すと、その下に砂に半分埋もれて横倒しになって寝ているのです! 初めてそれを見たときには、彼は案の定ピクリとも動かないので、岩で潰してしまったか!! と、心の中がかなりドス黒くなりました。が、眼がジロッと僕を見て、のそっと起き上がったのでホッとしましたが。これはその時の写真で,わざとかなり遠めに撮ったら単にガレ場遠景になってしまい、困りました・・・。実はこの上に更にもう2枚、巨大な石が積んでありました。オイ君、こんな隠れ方されちゃぁ、敵わんよ・・・。

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# by color-code | 2003-09-01 15:15 | 豪海倶楽部記事 | Comments(0)
なにもない
昔の話になるが、ランディというガイドがいた。名前の通りローカルガイドである。これはアジア圏にダイビングツアーに出た日本人が押し並べて感じるなのだけれど、彼らの視力はとてつもなくいい。視力4.0くらいは平気であるのではないかとおもう。そして老眼が入らない限り、それは当っている。フィッシュウォッチングというスタイルをある程度解ってしまったローカルガイドのマクロ発見能力のもの凄さは脅威ですらある。ついでに夜眼も利く。暗視カメラ並に利くので、夜、闇に紛れてなにかしでかす事はそのような土地ではムツカシイ。見えていないのは、自分だけなのだ。あとの人は、全員天然暗視カメラが装着されていると思ったほうがいいので、ラブラブツアーの時は、気付かぬうちに大サービスしないよう気をつける事を強くお勧めする。あれ、こんな話ではなかった、海の話。

とあるダイビングの終わり際、彼、ランディが突如興奮した。遥かかなたを指差して大喜びしている。私には何もみえない・・・・一向に見えない・・・・彼、指を数本立て、まだ叫んでいる・・・・相変わらず見えない・・・。ボートに上がってきた彼の一声は、「ブルーマーリンの群がグルグル回ってた!」であった。私に見えなかったのは言うまでも無い。そのラッキーな場面を楽しんだのは、そのチームでガイドの彼、唯一人なのだった。考えると私たちは、ドリフトダイビングで、マクロ狙いでもなく、その間、さほど大物にあうわけでもなく、激流なわけでもなく、とりあえず半分寝てしまいそうな、どちらかといえば慰安ダイブであった。ところがランディにとっては、数年に1回のビッグトピックス、カジキ、しかも群れ! というなかなか興奮の数十分だったわけだ。同じ時間、同じ場所、同じ方向を見ていたにもかかわらず。

こんな事を幾度と無く経験すると、ダイビングの1本1本は、つくづくその本人の解釈次第なのだと思う。私にとって天国にいるような1本のダイビングは、他の人にとって廃墟を潜っているような、もの寂しげな1本なのかもしれない。このことはダイビングを生業にしている私にとって、とても考えたくない致命的なことなのだけれども、それは恥ずかしい事に、確実にあるだろうし、たとえ最小限にする事は出来ても、今後も避けることは出来ないのだろう。しかしその逆も多々あるわけで、その人の感性次第で海の世界は現実以上に増幅し続けるという事が、2ダイブでいくら、というファンダイビングという商品を、お金などには換算できない素敵な体験たらしめている。冬場に目の前、わずか数メートル先を潜降してゆく十数メートルのザトウクジラとの時間を、彼らと同じ水面にて共有する奇跡的な数秒間がある。それは、見えない人には残念だが見えない。目前に視野に収まらないほどの巨大な生物が動いて、そして生きているのに、スキンで入ったゲストの幾人かの脳裏にはそれは映らないのだ。あり得ない話のようだけれども、それは私が幾度と無く立ち会った事実であり、当の本人にしてみれば、その時クジラは、確かに存在しなかったのである。水中で色が消失していく中、なぜか私たちの眼には色鮮やかな海中世界が再現される様に、海況やガイド、チームの雰囲気、自分のスキル。そんな諸々の条件と共に、最終的にそれが素晴らしい経験だったのかを認識するのは結局のところ自分自身に他ならないのでしょう。様々な器材を身に付けるダイビングというこの遊びだけれども、センサー・動力・全て自前、自分の身体だけが頼りなのだから、体調が絶不調の時には何一つ眼に入らない事もあるかもしれない。それは私も含めて誰もが避けられないことでもある。だからこそ、「あぁ、何も無かったな、このダイビング・・・・。」と思ってしまった自分は、なにかもったいないと思うのです。何も無かったという体験を、さらに言葉で封印してしまうようなものです。私たちの貧弱な眼では見えない遥か海の先には、とてつもない生命の塊が渦を巻いているのだと想いたいのです。すぐに事々を忘れ、忘れるようにしてしまう困った癖がある私はそんなとき、とりあえず、こう自分に聞いてみる。

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おまえのその眼の前に 無限に広がる海はたしかにありませんでしたか?

自分達のフィールドに、状況にあわせて様々な演出を舞台裏でし、ゲストに楽しんでもらうのが私たちの仕事だと思うし、ガイドによって海の劇場の完成度は大きく変動する、とは思う。でもなし得る事などほんの僅かでしかない。主役は海なのだし、所詮、私だって彼らから見れば、無知でか弱いビジターに過ぎないですから。そう思えば、その何も無い海、常に動き続けるその液体そのものが、とほうもなく巨大な命にも思えてくるのです。そう思えたとき、私はかすかに背筋がざわつく。だから暫くの間、眼を閉じる。そうしていると、たまに自分が溶け出していくような感覚を覚える。

僕はこの時間が好きだ。
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# by color-code | 2003-08-23 20:34 | うみのいろはそらのいろ | Comments(0)
うみのいろはそらのいろ
月は、私が存在すると思うが時に、そこに在る。そのように言った物理学者がいたことを思い出す・・・マトリックスのことが、ふと思い浮かぶ・・・そういえばあれは、おさな子の夢の具現だったような気がする・・・。

小さい頃、アパートの屋上によく登り、この5階から飛び降り、地上すれすれの数mで、スゥゥーっと身体がスライドし、そのまま丘の上のここから続く小さな路地を、滑るように移動してゆくもうひとりの私がよく見えた。時折地面に接触はするが、またフワッと浮き上がり、今にもまた地面に擦ってしまおうとする身体ではあるけれども、何も考えなければそうするほど、身体は地面からゆっくりと離れていき、遠く霞む川に下ってゆく。そんな映像だ。でも私は飛び降りなかった。心の底から確信していないもうひとり、いや、無数の私の眼にはその時、赤い色が広がった。それも今となっては、眼をこらさないと見えない。そのうち、また見えるかもしれない。そのとき、私は無限のわたしの中の、そのたったひとりとなって丘を下りたいと思う。

ダイビングとは、そのようなものなのだ。16才のとき、初めて売店で買った1500円もしないフィンを履き、水深わずか数mに浮かんだときの、空気の上に乗ってスゥゥーっと体がスライドしていくような不思議な気持ちや、はるかに見下ろす水底の白さは今になっても忘れることはない。それは幼い頃山深い土地で育った私が、見渡す限り一面に白輝色にかためられた2千m級の雪山に父と分け入り、ふと頂上付近で見上げた時のあのそらの、宇宙を触れてしまいそうな蒼のちかさの感覚と、とても良く似ている。遠いセイシェルのそらは、あの時触れたそらと同じだろうか・・・いや、違うだろう。

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だから僕はグルクンの雲を突き抜けて沖に出る
いつのまにか見渡す限り 夏の夕闇のそらになる
両腕がふしぎと開いてゆく
クスッとひとりで照れ笑いしながら 羽ばたいてる
僕は 今日もたしかに そらを飛んだ
だから僕は あしたもきっと そらに潜ろう
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# by color-code | 2003-05-21 20:37 | うみのいろはそらのいろ | Comments(0)
ダイビングに賭博性は必要あるのか?
ダイビングの愉しみの中で一番賭博性の高い遊びは、大物狙いのドリフトではなく、実はガレ場のベタマクロと悟ったのは数年前の事だった。考えれば考えるほど陸上の賭博と似てくるこの遊び。

まず、ガレ場をあさる事が、大多数のダイバーには、あまり芳しくない眼で見られている事に、当の本人が自覚していないのが、もう似ている。そしてその行為がとても格好悪く、あまり役に立たないところなど、そのままだ。ロト6がいくらキャリーオーバーしようが、近所のパチンコ店が開店だろうが、国民の大多数がどうでも良いように、ガレ場でいくらマスダオコゼ属の仲間がいようが、それはどうでも良いのかもしれないと思う。沖縄来てるんだから、オイ、他にする事あるだろ? って言うのもハッキリ言って諸手を挙げて賛成だ。しかし、そのガレ場の賭博性を、競輪の奥ゆかしさを説くアル中オヤジよろしく、熱心に布教する私には、棚上に平行に幾本もリーフに向かって並ぶガレ場の筋が、パチンコ台の列に見えてしまうのもまた事実なのです。何故ならこの台選び(ガレ場の筋選び)で、今日の儲け(収穫)が決まってしまうものだから、リサーチで浅場に入る時なんかは、ホント、マジな眼してますよ、スタッフ一同。そして慎重に台を選び、ひとつ小さな石をめくったその時、私の中で、スロットが鮮やかに回りだす・・・・。

こんな遊びにうまくハマッてしまったダイバーは、多くの博打打ちと同じく、周りから怪訝な眼で見られながらひたすらガレ場へと出勤しつづける訳ではあるが、当たり前だが、そうそう毎日勝ちつづけられる訳は無い。時として数日負けがこむことがある。プロギャンブラー(ガイド)の私たちでもそれはある。例えば私はふと数日、「キンチャクガニ見つからない病」に罹ることがある。そんな時は何をしてもダメ、なのにもう止められない。負けが込めば込む程つぎ込んでしまう。皆さんのなかで、28時間ぶっつづけで麻雀をし続け、太陽光が降り注ぐ午前10時に精算をしたら、500円のあがりだった経験をした人は沢山いるに違いない。 パチンコで、丸1日居座り17回スタートさせて、53000円頂いたのはいいが、ふと財布を確認したら、51000円つぎ込んでいた事に気がついた事は? ガレ場も一緒である。1ダイブ延々リサーチでガレ場に居座り、ふと気がついたときの収穫が、キンチャクガニとボラダイルツノガニだった時の虚脱感は言い表し様も無い。でも止められないのさ。今日はきっと、天国モード(ケブカキンチャクガニ)に違いないのだから・・・・。

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皆様、ようこそ、ガレ場賭博ワールドへ!!
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# by color-code | 2003-05-06 20:42 | うみのいろはそらのいろ | Comments(0)
何故、僕達は大荒れのトンバラに行くのか?
ふと思い立って、冬場の久米のダイビングの主な舞台である、島の南側の事を書こうと思います。そこでやはりはずせないのが、トンバラ。夏にはイソマグロを筆頭に回遊魚が渦巻き、冬はハンマーとクジラという、寒さを一気に吹き飛ばす超大物が闊歩する。そして、マクロに関して言えば、久米に居る、およそほとんどのものがここには居るという、あまり知られていない意外な事実。やはりここを語らずして冬の久米は語れないし、最も重要なのは、このポイントを潜るには、何をするにもゲストの協力が、ダイビングの成功の可否を握っていると言うことを、冬のトップシーズンに入る前に、数人のゲストにでもいいので、知っておいて欲しいと思い、書く次第です。そう、ここトンバラには、ダイビングのあらゆるスタイルと基本、そしてそれを徹底してやり続けた人間に対する海からの偉大な回答が待っているのです。 

まず、このポイントに潜る時に、一番困ったことがある。それは一言で言うと、「頑張った人しか報われない」というシビアな現実。これは、正直ビッグスポットとして名を馳せているトンバラのイメージを、解釈によっては損ないかねない発言なので、声を大にして言う気は無いのだけれども、僕は数年間久米に住み、数百本トンバラに潜り続け、未だに「タナボタ的大物との遭遇」等という事を経験したり、「根待ちしていたら、何かすごいものが次々と通り過ぎ・・・。」といった事など、ただの1度も無いと断言できる。そんなことは潜る前に考えたことすら無い。では、どうするかと言うと、ただひたすら潮を読み、魚のたまりを計算し、ゲストの位置、他のガイドのコース取り、ダイバーの泡、そんな諸々を利用しながら動き回るしかないのです。だから船酔いで申し訳ないと思いながらもスキンチェックをしないわけにはいかないし、泳ぎ回らずにはいられない。潮は分刻みで方向と強さを変えていき、大潮・小潮・干満などお構いなし、全く予想がつかない中で、自分が出来ることをするしかなく、そして魚達は愛想良く寄って来てなど、決してくれない。これからの時期ハンマーを狙うなら、決してフリー潜降等して無駄な体力を使わず、地を這いつくばって岩を掴み、出たら今まで節約してきた体力を一気に使い切る。そして帰り道は長くしんどい。ただ、そうやって知力、体力を振り絞って眼にした時のハンマーの群れ、そしてザトウクジラの印象は鮮烈です。これは屁理屈を言っているのでなく、本当のことです。これは,寒いさなか、冬場に必ず訪れてくれる常連のゲストには、きっと解ってもらえる感覚に違いないと信じています。 

a0060407_21553811.jpg今からの季節、初めて久米に訪れようと計画し、ハンマーやクジラに逢いたいと強く願っているゲストの皆様、どうかお願いがあります。僕は、おそらく他のスタッフも、自分の力を全て注ぎ込むつもりで毎日緊張し、半分恐怖しながらトンバラに向かいます。どうか潜降は、水面を流れるラインとアンカーロープを使って下さい。そして指1本でをかけるだけでももいい、岩を使って体力を節約してください。岩を使いながらも、常に視線はレーダーのように360度を確認しつづけましょう。そして私たちガイドが泳ぎ回ることを許して下さい。そういった手のかかるダイビングスタイルをしなければ成立しないポイントというのは、もう世界中でもそうは無いはずです。これをポイントとして良いか、悪いかで判断することは僕には出来ません。事実、未だに僕はこのポイントに行くときには半分緊張し、半分言いようのない期待で満ちた、複雑な心境で赴くのです。根待ちをしていれば、次々と群れが通り過ぎ、ドリフトして潮に乗っていれば、向こうから何かが突然現れる。そういったポイントでは無いのです。しんどいと思うかもしれません。ただ、ダイバーが海に挑む、攻める、そして軽くあしらわれ、無視され、思い出したように凄い物をくれる。そういった緊張が伴うダイビングの快楽を、これほど色濃く残しているポイントもまた無いでしょう。そしてこれは私たちダイバーが海に向き合う時の本質の大きな部分だと思います。そしてこの恩恵を受けるのは、必ずしもベテランダイバーでは無いということも数年間潜って気がついた発見でした。そしてこうまでして尽くして頑張っても、時に外れる・・・。これもまた、ガイド陣を恐怖させる大きな原因なのですが、僕はこれもまたトンバラの魅力だと思っています。いかにも海のあらゆる面を内包するポイントなのです。まさしく水族館と対極に位置する快楽を頑固に提供し続けるこのポイントを、僕は深く尊敬せざるを得ません。 

これを読んで、経験浅いし、ハードそうだし、ベテラン向きのポイントそうだし・・・。と思った方、トンバラに潜り、もし、このダイビングスタイルが気に入っていただけたなら、ロープ潜降、岩を利用した潮流への対処、潮の読み、魚のたまり、そんなことを、ほんの少し頭の片隅に置いて、どうか、数本、数十本と潜ってみてください。そしてその驚くべき成果は、その後、おそらく他の島の大物スポットで再認識するはずです。何故なら、あなたはその時、並み居る強豪数百本ダイバー達を、軽々とブチ抜き、強い潮をものともせず、数十万の撮影器材を抱えたダイバーを遥か後方に抜き去り、先頭でその生き物との至福の遭遇を果たしているに違いないのです。これもまた、本当のことです。
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# by color-code | 2002-11-16 20:48 | うみのいろはそらのいろ | Comments(0)