夕暮れに学ぶ
たまにタイドプールに行って遊ぶ。水深1m~15cmくらいまで、勿論岩や砂の上も楽しい遊び場であり、被写体の宝庫だ。そうでなくとも視界は人工物の見当たらない、見渡す限り海、というのはやはり気持ちの良いもので、ほぼ100%ボートダイビングの久米島でガイドをしている自分にとっては、海の近さをより一層感じることの出来る大事な時間でもある。ゲストと一緒に行く時もあれば、休みの日に一人で、文庫本片手にだらだらと遊んでいる時もある。
雄輔さんが来島していたときは、みっちり撮影して、それはそれはいろんな事を教わった。あそこに○○がいるぜー、とか、自分で勉強しなおせばいいのに、ずうずうしくこのタイドプールの生物層について、総ざらいで名前を挙げてもらいながらレクチャーもしてもらったりもしたのだ。潮の満ちが足りない時は、氏は波打ち際で鼻歌を歌いながら一時間以上も、小雨に打たれながらも楽しそうに海とたわむれていた。そして時が満ちると共に、海に入り、仕事をする。最終的には結果で判断される水中カメラマンもガイドも漁師も、だれであろうと立場、経験に関係なく皆、海に頼りながら仕事をもらう、というシンプルな事実。範とすべきは写真の技術や知識などではない、まずはこのように海と向き合う姿勢なのだと改めて思い直した印象深い光景でした。
タイドプールは潮の干満によって、撮影しやすい種が、まるで違ってくる。タマギンポやホホグロギンポ、センカエルウオ、写真のシマギンポなども、潮が満ちている時に水面のきらめき等とあわせて撮りたい生物に限って、大概満潮近くの良い時には姿を現さず、ストロボは勿論、ハウジングも半分水面上に出てしまう頃になってから、こちらがビックリするぐらいの勢いと色で騒ぎ出したりして、たいていの場合、出し抜かれている。当のご本人は、そんな気は更々無くて、自然の摂理に従って黙々と生きているのだろうけれども、こちらにしてみると、またやられたー・・・・なのだ。そして毎回やられる。僕は彼らより遥かに学習能力が無い。
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一番面白いのは、陽が少し西に傾きだしてから、日没直後までの一時間。いままで控えめに活動していた彼らの宴だ。傾く紅い陽の下、凝りに凝った化粧をしてあちらこちらで踊りだす。上がってくる写真を見ると、彼らがこの時の為に、どれだけ注意深く意匠をこらしたかよくわかると共に、畏敬の念さえ沸いてくる・・・そうか、そのような気持ちで私達も数万年の時を生きてきたのだった、と今さらながらに思い出す。僕達は戦の時、踊る時、死した時・・・普段よりも強く生きねばならぬ時には顔を、手足を、胸を・・・様々な意匠で自らを鼓舞し、魅了してきたし、その心はそういえば、今もまったくもって消えてはいなかった。僕達は今でも彼ら、他の生きる者達から学び、一緒に心躍らせることができるのだ。これはとっても素敵なことだと思う。
彼らから学ぶ事は未だ数多く、そして尽きない。
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by color-code | 2005-11-01 09:54 | 豪海倶楽部記事 | Comments(0)
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