紫に魅せられて
2007年 10月 27日
ハナゴイが好きだ。どうしても見入ってしまう。
どんなベテランの人にも、カメラマンの人にも、とにかく誰にでも、この紫が目に入った途端に立ち止まってしまい、雄の集団が緋の背鰭を広げてフィンスプレッディングを始めてしまうともう当分、そこを動けなくなってしまう。当然ダイビングの前のブリーフィングでも、グループのスキルもレベルも趣味趣向もそっちのけで、気がつくと色だ、鰭の色だ、目線の鋭さだと・・・切々と数分間にわたって訴え続ける僕がいる。これはもはやハナゴイ教の布教に近いものがあるのだけれど、この布教活動は絶えることなく僕がこの海でガイドを続ける限りいつまでも続くに違いない。更にこの魚、普通種ゆえ、数も多く生息域も当然浅い。分布域も広大だ。このような美麗な種を浅海で繁栄に導いた海に深く感謝する。
中国では古代、ユーラシアでも、そして日本でも同様に紫という色彩は高位であり、高貴、あるいは帝位を象徴する色であった。そして今でも身に纏う人間の品が問われる色であり続けている。
ハナゴイの紫は、茜に染まる夕焼けが過ぎ、半刻ほど佇んだあとの夕闇が静かに空を包みだす前のグラデーションのように、透明感と濃密さを行き来しながら、揺らぎながら、時に光を放ちながら今日も僕の目を釘付けにする。
この紫が好きだ。
こうして形を失うことで色も雄弁に語るのだなと改めて気づかされる。
少し情報を間引くことで見えてくるものもあると云うことか・・・・。
多弁に過ぎるのは本質を見え難くさせる落とし穴があるのかも知れない。
紫は品が問われる色か・・・・
この国は古来から受け継いだこの色が、似合わなくなってしまったかな。
命のゾクゾクっとする感じが伝わってきますよ。
モニターでどうとも見えてしまうWEB媒体だからこそ、99のはずれを引いても1の大当たりがあるかもしれないと思って今回、敢えてピンのない、止めていない画像を出しました。作りこむべきはコンセプトであって、ピントやシャッタースピードは数え切れない手段のひとつでしかありません、確かに基本要素ですが、必須要素ではない。ぶっちゃけ恐る恐る言ってるのですよ(笑)。
でも僕がこの魚を好きな理由はまさにその色にあるのですから、
このような水中の表現はもっともっと増やしたいなぁと思っています。
今の僕感性だと、これかなり好きです。
>ピントやシャッタースピードは数え切れない手段のひとつでしかありません、確かに基本要素ですが、必須要素ではない。
僕もその通りだと思います。
負けずにがんばりま~す!