帰国
2009年 02月 22日
今季ラストのリロアン通信です。リロアンの海は日を追って回復し、心配していたピグミーも元気です。体長2cmに満たない彼らにとって、ここ半月の泥混じりの濁流は、石つぶての嵐だったことでしょう。そしてその原因の大半は人間にあります。それでも僕は、傷癒えぬその身体に閃光を浴びせます。ダイビングという遊びはこの葛藤に背を向けることが出来ないものなのですね。これには言葉がありません。よく頑張ったね、とか、私達にはいう資格がないもの。今は荷造りをしながら、こんなことを考えています。
今回の滞在で心に残ったのが、環境保護区域(サンクチュアリ)についてでした。
フィリピンをはじめとする各国で、着底やグローブの着用、船の係留や海域への入場人数制限など、様々なレギュレーションを追加することで環境を保全する試みがなされている限定海域です。それは多かれ少なかれ、着実に成果を上げているのですが、このレギュレーションにおいて、ゲストの方と度々興味深いやりとりが、実は滞在中数多くありました。
「着底禁止であれば、底に着かなければサンゴを軽く掴むのはいいの?」
「いえ、ダメです。」
「では、サンゴじゃなくて、砂底ならOKなんですよね?」
「いえ、着底禁止ですから、砂底もダメなんですよ。」
「ということは、岩なら掴んで写真を撮ってもいいの?」
「・・・うぅぅぅ~ん・・・趣旨としてはダメですね、レギュレーションを守っているとは見えないでしょう。やはりダメです。」
「そんなこと言っても、結局きちんと運用されてこその問題でしょう?」
「はい、もちろんです。そしてそれは利用する私達全員が監視、監督していく義務と権利があります。面倒だと放棄したら、あっというまに崩れ去ってしまうのですが。でも賛同してほしいのです。」
その他諸々。この方々は別にどうしても写真を撮りたいわけでも、私に意地悪をしたいのでもありませんし、それはこちらも同じで、レギュレーションについて純粋に興味があって議論にお付き合いしてくださったのです。確かに、すぐ隣のポイントではこれは適用されておらず、ひとたび係留ブイが変わった途端に様々な規制があるのはあるダイバーにとっては不自然なことです。ただこの方も、それでは全海域でこれを適用しましょうと
いう話には賛成しないでしょうし、先ほどの議論のようにF&Qを続けたら、ここを潜るのにそれこそ分厚い規定集が必要になってしまうでしょう。それを読み終えていざエントリーする時にはナイトダイブに挑戦することになります。普通の日本人ダイバーには到底受け入れがたいことでしょう。なぜならこの手のことにとかく(?)うるさいヨーロピアンダイバーも、保護区域外では思いのほかおおっぴらに躊躇無くアンカーを投げ込んだりしますし、特定の生物や、特殊なダイビングについては私達の数倍やんちゃな事をしでかすのも彼らですから。
僕はここで是非を問うつもりなのではありませんが、保護区域を策定し、節度ある運営をすることには賛成です。そんなことをずっと考えていて気がついたのですが、根本的な考え方として、サンゴや魚を守る為の・・・という考え方、そもそもそれから始まっていないのではないかもしれませんね。ダイバー対海、言い換えれば人間対野生、の考え方の違いなのでしょう。
サンゴだけではなく、岩を掴んでもいけない、着底だけではなく、着底するおそれのある場所にそもそも近寄らない。このルールの根底にあるものは、必ずしもサンゴの保全だけではありません。もしそうなら、岩を掴む事はOKであるべきだし、サンゴから距離わずか数センチの絶妙な中性浮力で撮影を行うダイバーが喝采を浴びてもいいのです。しかしそうではありません。そこには野生、というものに対するひとつの考え方が強く現れています。
人間が管理できない、理解を超えたものは、出来うる限り慎重に、遠巻きに、厳粛に、人のインパクトを与えず、ひそやかに観察すべきである。その環境で生きる者達を観察し、理解することは出来ますが断絶したものです、友達になる、解かり合う、溶け合うという発想はここにありません。ゆえに野生なのであって、こちらから積極的に働きかける行為が、野生に接する楽しみをむしろ減らしていってしまうという考え方。もし海が管理可能なものであるなら全く逆の事態となるはずです。ここにあるのは、一言でいうなら西洋的な思考構造ですが、棚に置いて放置できないことです。
たとえば例にとるなら40年前、正月からスーパーが24時間開店している状況を皆が想像できたでしょうか?
更に言うなら私は30年前、リサイクルという言葉についても、その意義についても全く興味がありませんでした。20年前、ゴミを6種類に分別することなど、遠いヨーロッパの奇特な行動だと信じていました。そして10年前、島々が沈み、国土を失いつつある人々がこれほどまでに多い事など考えもしませんでした。今挙げたことを、何も知らないし、興味もない、尊重するつもりも考える気も無い、という日本人は居ないですよね。そもそもこの国には古来より河川と水田という、教科書的なビオトープ環境と、世界最高水準のリサイクル環境とその経済効果を謳歌していたのですから。
同様にサンクチュアリにおける保全活動の考え方は、フィッシュハラスメントという考え方と非常に似ていて、
今後のダイビングシーンに直接強い影響を与えるでしょう。これは間違いありません。オタクが世界を席巻し、形を変えて世界中の人々の余暇の楽しみや、ファッション、容姿の好みにまで強い影響を与え続け、別の形態へと変貌していくように、今現在は私達に必ずしもしっくりと馴染まないこの考え方も、実は意外に早く私達の中で定着するでしょう。ここリロアンに来る昨年末までは、なにかしらおぼろげだったこの事は、ここに来て数ヶ月を過ごすうちに自分の中に残っていたわだかまりが消え、とてもクリアになりました。
私達スクーバダイバーはこの現実を受け入れ、リミックスし、より楽しきダイビングシーンを作るチャンスが実はこの先多々あるのです。そしてこの続きは久米で考え、そして実行してゆく事でもあります。
リロアンでご一緒した素敵な、親愛なるダイバーの皆様。
本当に楽しい海をご一緒させていただきました。改めて、ありがとうございます。
久米の海に戻ります。
共にHOMEの海に入るチャンスをいただけますように。
そして古巣、愛するリロアンの海、ありがとうございました。
年末にまた伺います。
海の話でなく、山の話ですが、去年から、仕事の関係で狩猟に関わるようになって、今年も山の中を歩き回り、「野生」についてもいろいろ考えさせられます。人家からほんの少し山の中に入るだけでも、これまで全く意識してなかった「野生」がそこにあることにびっくりさせられます。ちょっと乱暴な考え方になるかも知れませんが、たとえば欧米的なサンクチュアリを日本で実現しようと思っても難しい、要するに日本の国土は狭くて、周囲は海に囲まれ、人間が全く干渉しない、できない区域を作ることは不可能な気がします。だから日本では、サンクチュアリという考え方はなじまなかったのかなというように最近感じてます(続く)。
全く自然に干渉しないのか、自然と共生(この言葉自体に無理はありますが)してゆくのか、今のところ、よくわかりませんが、最近の自然との関わり合いを通じて、少しいろいろ考えるようになってきました。
期間が長かっただけに、さぞかし色んな事があったと思いますが
それも全て糧となったことでしょう。
チャンスがあれば、また久米の海で一緒に潜れたらいいなと思っています。そして、また来年、きっとリロアンで会いましょう(笑)
みつばちさん:帰りましたぁ~。土産話も沢山あります。リロアンも久米も、潜りたいなぁ、一緒に。あのビールが忘れられないですよねぇ?:笑
ぷぅさん:こちらこそ、ありがとうございます。再度海をご案内できることを、私も楽しみにしております。久米島にお越しの際は是非ご連絡くださいませ。